知識の身に付け方

(10月7日付け「学年だより№21」より②)

 

 日頃、高校生の「無知」に驚くことが多い。1年生はまだ仕方がないかな、とも思えるが、入試や就職対策で接する3年生の「無知」は絶望的だ。という訳で、考査の採点をしながら思ったこともあり、どうすれば知識は手に入るのか、少し想う所を書いておく。


その1《知らなかったことに反応する感性と好奇心》
 普通科「現代文」の考査の話である(内容としてはビジネス科の諸君にも知っておいて欲しいことなので、授業を受けていない人でも分かるように書く)。
 福岡伸一の随筆「世界は常に更新されている」に次のような一節がある。
「(デカルトの)代表作は『方法序説』。「我思う、故に我あり」という言葉がよく知られています。」
 考査で、「代表作は『α』。「β」という言葉が~」とした上で、α、βに入れるのに適当な書名、言葉を入れよ、という問題を出した。どのクラスでも、こんな知識を問うという予告はしていない。
 現代文の担当者2人で問題の検討をしていて、この問題のアイデアが出た時、次のような会話が行われた。
「本文から情報を読み取るということからすれば、この問題は邪道だけど、自分が知らないことが出てきた時、これは何だろう?と思う好奇心は必要だ。しかも、本文に『よく知られています』と書いてあるとなれば、知っていなくちゃまずい、常識として憶えておこうと思うのが当然だ。教員が『これは大事だからな』『試験に出すぞ』と言ったもの以外は憶える必要がない、なんて思ったら、知識なんて身につくわけがない。『こんなの社会の問題だ!』などという縦割りの発想も論外だ。そんなメッセージを込めた問題として出してみよう。」
 そう、確かに、そのような頭の使い方、好奇心の働かせ方ができなければ、「知識」は増えないし、自分のものにならない。教科書や授業の責任ではないのだ。「学ぶ人は何からでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない」とは、そういうことなのである。
〈驚愕の採点結果〉正解者 α 2名  β 7名 (受験者278人中)!!


その2《「恥ずかしい」という社会的感情》
 今回の考査で国語について言えば、ビジネス科だと書き下し文や読み方、普通科だと漢字の読み書きといった基本的問題で、既に正解率が低かった。あれれ・・・。
 書き下し文の書き方、返り点のルール、反語や二重否定の意味、漢字の成り立ちや構造、接続詞の用法etc. etc.・・・これらを教えるのは比較的簡単だ。しかし、例えば、小学校で習ったレベルの漢字が書けないことを「恥ずかしい」と思わない人に、そう思うことを教えるのはなかなか難しい。
 とは言え、幸いにして、「恥ずかしい」は社会的感情であって、学んで身に付けるものである(時代や民族によって「恥ずかしい」の中身が異なることから分かる)。今、授業でやっている程度のことは、どれもこれも、高校生であれば知らないと、或いは、できないと「恥ずかしい」ことばかりである。まずはそのことを学び、肝に銘ずることが必要なのでは・・・?

 

(裏面:9月16日付け読売新聞「ニュースの門」より「ノーベル賞 『科学最高峰』1年超えの審査」
平居コメント:今週はノーベル賞受賞者が毎日1人ずつ発表されるノーベル・ウィーク。この賞だけを特別視するのも、「日本人が!!」と大騒ぎするのもいいとは思わないが、科学、文学、平和に関する自分が知らなかった偉大な業績に目を向けるきっかけとしてはいい。)
(ブログ用のコメント:裏面に何を印刷するか、これで私は結構悩んでいる。悩みの大部分は、特定の新聞からばかり引用することがないように、というものだ。ところが、安倍政権発足以来、メディアも二極分化の相を呈していて、読売新聞には使える記事が見当たらない。今回の引用は、読売の記事でもこれなら許せるか、というギリギリの線。)