ロケットに集まる人々

(9月18日付け「学年だより№19」より)

 もはや1週間あまり前の話となるが、暑い暑い先週の日曜日(丸森で33.7℃!)、我が子と一緒に、JAXA宇宙航空研究開発機構という国立の研究所)角田宇宙センターの一般公開というのに行った。日本が飛ばすロケットのエンジンを開発しているというすごい場所が、実は宮城県にあるのだ。その分野における日本を代表する研究者が施設や展示の案内をしてくれたり、講演をしたりする。
 私がいつも驚くのは、そこに集まる人の数だ。田舎道が渋滞するほどの車が押し寄せ、広い構内がごった返している。列を作って並んでいる時、人の会話に聞き耳を立てていると、東北六県、いやいや首都圏からわざわざ来ている人もいるようだ。
 ロケットや宇宙観測機器の技術というのは、私達が日常使う物と、その精度や耐久性においてまったく異次元なハイレベルの世界である。その開発最前線に立って活躍している一流の研究者の話は確かに面白い。そこへ老若男女多くの人が集まるというのは、人間が知識を求める=好奇心の強い生き物であることをよく物語っている。集まってきた人がそこで何を見、何を聞いても、おそらく何の役にも立たない。少なくともお金にはならない。それでも人は知りたいと思い、面白いと感じる。学ぶことの原点である。

 

【「やればできる」と「やったらできた」・・・いよいよ第2回考査】
 来週は考査Week。普通科の夏休み課題のひとつ「暑中見舞い葉書」には、勉強と部活の両立とともに、夏休み明けの授業、あるいは第2回考査への意欲を書いたものが多かった。実にけっこう。
 ところで、両学科とも授業でやった(やっている)芥川龍之介の「羅生門」に、「『すれば』は、いつまでたっても、結局『すれば』であった」という一節がある。この一節を読むと、私はいつも「やればできる」という言葉を思い出す。
 「やればできる」とは、学校で先生が生徒を励ます時によく使うフレーズだ。諸君の潜在的な可能性を認めた上で、それを発揮できるよう努力せよ、ということだ。
 しかし、私は「やればできる」と言われ続けて、ついに最後まで「やらなかった」生徒をたくさん見てきた(卒業後に「する」のかも=笑)。そして、「やればできる」という言葉にはほとんど意味がない、むしろ、俺は「やればできる」んだから、そのうちやればいいさ、と、自分の可能性にあぐらをかく契機となりかねない危ない言葉だと思うようになった。
 意味があるのは、「やったらできた」という言葉だけだ。下人も最後には「する」勇気を手に入れて行動した(悪では困るんだけど・・・)。健闘を祈る。

 

【解禁・就職試験!】
 一昨日、月曜日が就職試験の解禁日であった。8月に希望を出した98人の出願者のうち、今日までの3日間に、約3分の2に当たる61人が試験を受けに行った。
 おそらく聞いたことがあると思うが、今は一般に「売り手市場」と言われる。会社を選ばなければ、就職希望者1人当たり10件以上の求人がある。
 では、誰でも簡単に合格できるかと言えば、それはちょっと「?」だ。そもそも、いくら求人が多くても、自分の入りたい会社が採用を予定しているとは限らないし、激しい競争の中で厳しい経営を強いられている会社は、誰でもいいから採用する、というわけにはいかないからだ。ある一定以上の水準になければ、社員不足を覚悟で「採らない」という選択をする。マイナスの人材を採ることで足を引っ張られると、会社の負担は人手不足よりも大きい。開講式で校長が言っていた通り、「塩高生が欲しい」と言ってくれる会社は確かに多い。だが、いざ採用試験となると、問われるのは個人の実力である。
 さてさて、今年の結果はどうなるだろうか?結果は、早ければ試験の翌日に、遅くとも2週間で明らかになる。

 

(裏面:2019年7月29日付け朝日新聞「高校生の就活『1人1社制』でいいの?」
平居コメント:現在の高卒就職をめぐる世の中の仕組みと問題点がうまくまとめられている記事。特に就職を希望している諸君は丁寧に読み込んでみよう。)