彼が新聞記者!?!?



(12月22日付 学級通信より)

 数日前のこと、ある小冊子を人にもらい、そこに載っていた某新聞記者へのインタビュー記事を読んでいた。記者の経歴を見て、私がかつて勤務していた高校の卒業生であるということ、しかも私が在籍していた時期と、彼が在籍していた時期が重なることに気づき、改めて名前と横顔の写真を見て、どきっとした。彼が高校3年の時の担任は私ではなかろうか?あわててかつての生徒名簿を見てみた。間違いない。だが、信じられない。本当だろうか・・・?

 私の記憶に残る彼(とりあえずA君としておこう)は、どうしても新聞記者という柄ではないのである。高校時代からぽってりと腹の出た中年体型で、表情と言葉と活力に乏しく、友達も少なかった。記憶が曖昧だが、成績も良くはなかった。私が誰かから「Aは今何をしていると思う?」と尋ねられたら、私の頭に真っ先に浮かぶ言葉は、大変申し訳ないが「ニート」か「引きこもり」である。ところが、記事によれば、高校時代から新聞記者に憧れ、大学卒業後、ひょんなきっかけから間違って自衛隊に入隊。ただひたすら辛い2年間を過ごすと、テレビ局に移り、更に新聞記者へと転身したらしい。Aが、初対面の人から話を引き出し、記事を書くなどというのは、私には全く信じることのできない正に驚愕の事態である。

 人の将来(=可能性)というのは分からないものである。教員などという職業に就いていると、そんなことを感じるのは日常茶飯事だ。それでも、今回ほど驚いたことはなかった。私は、諸君が将来、例えば大学教授になるとか、国会議員になるとか、小説家や詩人になるとか(もちろん職業や地位だけの問題ではなく、人間性も含めて)は想像も出来ないけれども、確かに、そういう可能性も否定することはできないのだ。諸君の顔を見ながら、私は、諸君がどのような大人になるかという様々な可能性について、いろいろな想像を巡らせては、「絶対にあり得ない」という気持ちと「いや、ある」という気持ちの板挟みで、なんとも不思議な気分になる。