明文化されないルールもある



(10月10日付け学級通信より)


 今日は昔の「体育の日」。1964年の東京オリンピックの開会式が行われた日で、晴れの特異日(統計上、晴れる確率が非常に高い日)だ。この2〜3日、10月になったのに本当に蒸し暑い。一昨日、丸森では30度を超えた。石巻も28度くらいあったのではないかと思ったが、気象庁の発表では25.1度だった。ひときわ暑さを感じたのは、「衣替え」のせいだったような気がする。「衣替え」は季節感を感じさせてくれるものだけど、今年については、気温ではなく日付で衣服を決める不合理を呪いたくなった。

 10月は「神無月(かんなづき)」である。全国の神々が出雲大社島根県)に参集して不在になるから、そのように呼ばれるようになった、というのが有力説だ。もちろん、出雲は逆に神々で混雑しているわけだから、この呼称は合わない。と思ったところ、出雲では10月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶらしい。暦のような全国規格の代表のようなものにも地方色があるというのは面白い。


【明文化されないルールもある・・・性教育講演会】

 先日、選択現代文の時間に、「大学3年生がアダルトビデオに出演していたことが分かり、大学の教授会で処分が検討された。あなたならどのような意見を述べるか?」という問題で、小論文を書いてもらった。

 多くの人が、「職業選択の自由」「職業に貴賎無し」といったことを根拠として、処分しない、という結論を出した。私は、それをもとに、次のような問題提起をした。

 「もしも「職業に貴賎無し」だったとすると、自分がアダルトビデオに出演していたことを、その学生は、友人にも家族にも話せるはずだが、大抵はそうではないらしい(授業中、挙手してもらった)。だとすれば、そこには行為の性質に関する何かしらの見方が存在することになる。それは明文化された規則とは別に存在する一種のルールであり、「羞恥」とか「たしなみ」とか呼ばれるものだ。これらは、明文化されていないから無価値だとは言えない。むしろ、人間の社会の円満な秩序は、そういうものによってこそ支えられているのではないか?」

 「商業主義」の結果として、世の中にはそのような文化を破壊し、人の価値観をめちゃくちゃにするような情報が氾濫している。日頃の諸君の会話を聞いていても、モラルの危機は深刻だ(笑)。

 そんな中で、正面からズバリと、日頃なかなかまじめな話になりにくい「性」の問題について学ばせてくれた講演には価値があった。最後に訴えられた「おいしい話は危ない」だけでも、しっかり記憶に刻んでおくことにしよう。

 《アンケート結果》

Q:今日の保健講話の内容はどうでしたか?

A:とてもよかった14  まぁまぁよかった16 それほどでもなかった3


【食わず嫌いは損をする・・・好評だった「落語」】

 一昨日の芸術鑑賞会、暑い中ではあったが、すこぶる良好な鑑賞態度だった。と、まずは諸君を褒めるべきなのだろうが、やはり「芸」の力も大きかったと思う。諸君が書いた感想を読んでみて、テレビで見た時との違いを書いた生徒が多かったのは、なかなか鋭い。私もかつて、初めて生で落語を見た時、同様の感想を持ち、これほど小さな(画面からはみ出ることの絶対にない)芸が、なぜテレビで見るよりこんなに面白いのだろう?と疑問を持った。その疑問は解決しない。生身の人間と人間が向かい合った時に生まれる独特の「場」とか「雰囲気」の力、としか言いようがない。

 「古典芸能」と聞いた時には、拒否感を感じた諸君も多かったようだが、見てみれば、ほとんどの諸君が楽しかったらしい。そう、少なくとも「落語」「狂言」「歌舞伎」は、古典芸能の中でも、諸君が見て十分楽しめるものだと思う。食わず嫌いは損をする。次は自分でそれらの文化に接するチャンスを作ってみよう。


(その他の記事省略)


(裏面:9月29日付け『読売新聞』より、「イグ・ノーベル賞「笑賛」23年」を引用。

平居コメント:今週はノーベルウィーク。本物のノーベル賞はもちろんすばらしいが、こんな遊び心が学問の裾野を広げ、それを魅力的にするのだ、とも思う。)