硯上山の避難小屋



 10月に入ってからの異様な蒸し暑さも一段落し、素晴らしい秋晴れの今日、我が家は珍しく全員が揃って特別な用事もないという1日であった。二階のベランダに布団を干すと、「山へ行くぞ」と掛け声をかけて、硯上山(けんじょうさん、520m)を目指した。車で、標高約350mの駐車場まで行くと、そこから山頂へは2.1キロ。小さな子供を連れても1時間はかからない。幅のあるよい山道で、秋の野山を感じるには格好の場所だ。山頂は広くて四阿もあり、そこからは、東の眼下に雄勝湾、南西に石巻の市街地、南南東に牡鹿半島金華山、北には遠く志津川が見える。絶景だ。

 昔、15年くらいも前、石巻高校でワンダーフォーゲル部の顧問をしていた時は、毎年春に新人歓迎登山で必ず来ていた。もちろん、その時は、山頂から2.1キロの駐車場まで車で入ったりはしない。石巻の霊園から、籠峰山、上品山、水沼山、雄勝峠と1日がかりで縦走し、硯上山に泊まって、翌日、雄勝峠から京が森を通ってJR石巻線沢田駅に下りるというコースだ。こんな里山で、一度も里に下りることなく1泊2日の山歩きができる場所というのは珍しいだろう。「ふるさと緑の道」というのに指定されているため、道標等も整備されているのだが、なぜか林道開発がひどくて(特に雄勝峠〜京が森)、年々山の風情が失われてつまらなくなったので、最後の2〜3年は、新歓山行の場所を七ツ森(大和町)に移してしまった。

 ところで、硯上山での宿泊場所は、駐車場から1.2キロ付近の登山道上である。平坦で、道幅も広く、テントを張るには適当な場所だ。しかも、そこから0.2キロ上には水場がある。

 水場の横には、なんと鉄筋コンクリートの避難小屋が建っている。15畳ほどの広さの小さな小屋だが、こんな里山で避難小屋があるというのも珍しいだろう。もうしばらく前から、入り口のドアもなくなり、窓ガラスも割れ、中の一段高くなった床敷きの部分が全て燃えてなくなってしまっている。震災の時にできたものか、床には大きな亀裂が入っている。廃墟である。

 昔、生徒と来ていた時には、まだ使用可能な状態であった。たたきには薪ストーブも置いてあって、雨の夜など、小屋に避難すれば快適な夜が過ごせた。

 ところが、私が春に硯上山に行くようになって4年目か5年目のこと、雨が降ったり止んだりというあいにくの天気だったので、私たちは小屋泊まりと決めた。ところが、小屋に入ると、町役場からの掲示が出ていた。それは、「この小屋はあくまでも緊急時の避難小屋なので、住んだり改造したりしないように」というようなものであった。このような掲示が出るということは、日常的にこの小屋に泊まっている人がいたということである。よく見ると、窓にはなんと白いレースのカーテン(!!)が掛かっている。また、コンクリートむき出しだったはずの壁には、2センチくらいの厚さの発泡スチロールが貼ってあり、布団も置いてある。

 猛烈に気味悪さを感じた。山の中で、夜中の小屋に下界そのままの人が現れたら、これほど気味の悪いことはない。東京の公園とは違って、浮浪者がいるとは思えない。里山とは言っても、一番近い「里」まででも、歩いて1時間以上かかる。よほど特殊な事情のある人に違いない。熊や鹿とは違う、なんともいやらしい気味悪さである。10人ほどの人間が集まってワイワイガヤガヤしているわけだから、仮に定住者が戻ってきたとしても、人の気配を感じて小屋には来ず、去って行くような気はする。それでも、深夜、私たちが寝静まった後だったら・・・?そもそも、小屋の中に居着いている生々しい人の気配があるだけで、気味が悪いのである。落ち着かない夜を過ごした。その後、新歓山行の場所を変えたのは、林道開発だけではなく、この小屋の気味悪さもあったような気がする。

 もちろん、現在の廃墟には、定住しようという人なんかいないだろう。最寄りの集落である雄勝の町が津波によってほとんど全滅した、という事情もある。今日のような秋晴れの日中に見れば、薄気味悪さなど微塵も感じられない。むしろ、当時の思い出が、なんだか滑稽な記憶として蘇ってくるので、少し書いておこうか、という気になった。世の中にはいろいろと面白いことがあるものである。

 異常な暑さの秋ということで、里山にはまだ秋の気配がさほど漂ってはいなかった。それでも、絶景の頂上でおにぎりを食べ、ご機嫌で帰宅したのであった。