職業の貴賎

 前々回、性風俗業者に対するコロナウイルス関連の休業補償をどうすべきか、という話を書いた。話のついでに、職業に貴賎があるかどうかということにも触れ、あえて言えば、物議が生じるのを覚悟で、私は職業に貴賎はあると考えているということも書いた。
 その後、この問題をもう少し丁寧に考えてみようと思った。すると、「職業に貴賎なし」という言葉が、そもそも俗諺なのか、何か立派な出典があるのか、ということが気になりだした。
 ネットで調べてみると、江戸時代の心学者・石田梅岩(1685~1744年)が言い出したことらしい。しかし、我が家の書架からその著書『都鄙問答』を引っ張り出してページをめくってみても、「職業に貴賎なし」という表現自体は見付けられない。だいたい同じ趣旨の言葉が見つかるだけである。「職業に貴賎なし」という簡潔で分かりやすい表現を最初に使った人は、梅岩の他にいるのだろうが、分からないものはどうしようもないので、梅岩の同内容を言い表した部分を用いて考える(我が家にある中公文庫版『都鄙問答』は、加藤周一による現代語訳で、原文がない。そこで、以下の引用は加藤訳による)。

「士・農・工・商は世の中が治まるために役立ちます。(中略)すべての人がその生業を営まなくては世の中が立っていきません。」
士農工商、ともに天の作ったものです。天に二つの道があるでしょうか。」

 これらは、どちらも巻2の「或学者、商人の学問をそしるの段」というところに出てくる。確かに、世の中を構成している4つの身分=職業について、どれが欠けても世の中は成り立たないと言っていることから、これらについては貴賤を認めていないと言えそうだ。だが、上の引用が商人に関する段にあることから推測できるとおり、4つのうち最下位にあった商人の立場を擁護することが、それらの言葉の目的である。上の一つ目の言葉の後ろは、「商人の利益も公に許された俸禄です。それなのにあなただけが、商売の利益を欲心の現れで道に背くと言い、商人を憎んで滅ぼそうとしています。なぜ商人だけを賤しいものとして嫌うのですか。」と続くことからも、そのことがよく分かる。
 「士農工商」という言葉は、江戸時代の身分制度、もしくは社会構造を表す言葉として有名である。しかし、世の中には4つの身分=職業だけが存在したわけではないこともまた有名である。梅岩は、それらについてどのように考えていただろうか。
 『都鄙問答』にそのことは書かれていないが、上の言葉の「精神」に基づいて想像することは容易である。社会が成り立つためにどうしても必要な職業に関しては、「穢多(えた)」「非人」といえども、決して否定できず、むしろ尊重すべきだということになる。職業は確かに社会的な支え合いの関係である。貴賤などあってはならない。
 しかし、議論をここで止めるわけにはいかない。なぜなら、江戸時代と今とでは社会状況が違うからである。
 江戸時代までは、ということは、文明というものが欧米から流れ込んでくるまでは、人々は生きていく上で本当に必要なものを確保するのがギリギリで、それ以上の余裕をあまり持たなかった。だからこそ、全ての職業は絶対に必要な支え合いの要素であり、「貴賤」を付けるわけにはいかなかった。主に18世紀に生きた梅岩の職業観が、それ以前にはなかった本当に新しいものだったとすれば、そのような考え方が示された時期として、むしろ遅すぎると言ってよいだろう。
 ところが、今は豊かな世の中である。ただし、今までにもたびたび言ってきたとおり、この豊かさはほぼ全て「石油を燃やす」ことの上に成り立っている。日本のエネルギー自給率がゼロに近いことを思うと、この豊かさは砂上の楼閣、正に「まぼろし」である。
 困ったことに、人間は、命を支えるという最も基本的なレベルから遠ければ遠いほど文明的、文化的で、楽しく心地よいと感じる性質を持つ。そのため、「豊かさ」が増すに従って世の中に増えてきたもののほとんどは、人々が生きていく上でどうしても必要とは言えないものである。先日問題とした性風俗しかり、美容関係しかり、スポーツや芸能しかり。また、交通機関、飲食、教育などなど、仮にどうしても必要なものであるとしても、度の過ぎた高級化や過剰が生じているように見える。
 こうなってくると、それらも含めて「職業に貴賎なし」と言ってよいかどうかは、がぜん悩ましくなってくる。しかも、見ていて哀しくなってくるほど低レベルなテレビ番組やYou Tubeなどから分かるとおり、大衆の好みや性質というのは、ひたすら易き=低きに流れるようにできている。それが無駄に豊かな世の中で、新しい職業を生み出してゆく。当然、そうして生み出された職業は、「賤」とは言わないまでも、決して感謝・尊重に値するとは思えない。
 と言うわけで、「職業に貴賎なし」は、全ての職業がなければ社会が成り立たなかった昔の話、今は当てはまらない、その理由は以上の通り、というのが私の思い。