民主主義の破壊、だろうか?

 安倍元首相が演説中に狙撃され、死亡したという報道は、私にとっても衝撃的だった。私はこの人が本当に大嫌い。顔を見ただけで「虫酸が走る」、というやつである。何と言っても、本当に不誠実。ウソとごまかしと図々しさの総本山である。子どもには、反面教師としてさえ見せたくないほどだ。死んだからと言って、突然、「立派な総理大臣でした」などと言えるものではない。
 それでも、「じゃあ殺してしまえ」とはいかない。あるいは、仮に「殺してしまいたい」と思ったとしても、実際に殺すのは次元の違う別問題である。誰かが誰かを殺すことが許されるなら、それぞれの価値観に従って、誰が誰を殺すことも許されなければならない。そうなれば、暴力は連鎖し、予防も含めて、暴力だけが幅を利かす殺伐とした不安定な世の中になる。それは、最終的に、誰にとっても不幸なことだ。
 事件があってからわずか1日しか経たないのだが、私が今書いたようなことも含めて、マスコミを始め、多くの人が同様のことを言っているので、今更書き加えるべきことがあるようにも思わない。
 だが、「民主主義への愚劣な挑戦」(毎日1面)、「民主主義の破壊許さぬ」(朝日1面)といった論調にはあまり賛成しない。
 現在までの報道によれば、容疑者は、安倍氏政治的主張に対して文句があって犯行に及んだのではないらしい。自分の家族が関わる某宗教団体に怨みがあり、その団体のトップを殺そうと思ったが難しかったため、安倍氏がその団体と繋がりがあると思い込んで襲ったのだという。自分の気にくわない人間を殺すということについては同じであり、問題なのだが、かなり私的な怨恨であって、政治的な暗殺ではないようだ。だとしたら、参院選のタイミングで政治家が殺されたという外形的な事情から、それが「民主主義への挑戦だ」などと早とちりをして、事態を複雑化させない方がいい。これは、「ただの殺人」である。
 私にとって恐ろしいのは、元首相が殺されたということよりも、民間人が自室で殺傷能力の高い銃を作ることができた、ということである。昨日この事件があってから、おそらく、興味半分も含めて、どうすれば銃が自作できるのかをネットで検索した人はたくさんいるに違いない。残念ながら、今回の容疑者や、過去の様々な殺人事件の犯人のように、身勝手な正義感や怨恨に酔って人を殺そうとする人は、今後もいなくなることがないだろう。そのような人達が、銃を自作できるようになったら・・・日本もアメリカのようになってしまう。
 警備の失態は論を待たない。一般人が荷物を持ったままで、元首相の背後、わずか3mの所まで近づけたというのはびっくりだ。安倍元首相は、5年前、我が家に来たことがある。もとい、我が家のすぐ隣にある被災地(南浜町)展望台に来たことがある(→その時の記事)。眼光鋭い怖いおじさんたちが見張っていて、とてもでないが、薄着、手ぶらででも、15m以内に近づくことはできなかった。今回の警備の甘さは、現職と元職との違いによるのだろうか?それにしても甘いな。
 明日は参院選。日本人(だけなのかどうかは?)というのは不思議なもので、過去の選挙でも、何党であれ、また事故であれ病気であれ、有力者が直前に死んだりすると、「同情票」というものが集まったと言われたことがあった。今回の事件によって、ただでさえも圧勝の予想される与党が、更に票を伸ばすということが起こるかも知れない。また、選挙後、「安倍元首相の遺志を継いで!」などと改憲勢力が勢いづき、それに国民がなびくということも起こりかねない。これらは、国民の政治意識の低さというか、感情と理屈の混同というか、いずれにしてもほめられる話ではない。・・・で、よく考えてみると、安倍晋三という、どう見ても三流の人間が首相となり、ろくでもない法律や法解釈を次々と打ち出し、ウソをついて平気でいられたのも、そんな国民の支持があったからである。過去の安倍政権と今回の参院選は、国民の質の反映としてリンクするかも知れない。
 もちろん、元首相が殺された場合と殺されなかった場合と、2種類の参院選をやってみるわけにはいかないので、参院選の結果を見て、本当に「同情票」が投じられたかどうかは確かめられない。それでも、識者が結果をどう分析するかも含めて、日本人の投票行動を興味津々で見させてもらおう。