果てしなく遠い15m・・・憲法記念日に

 昨日は、PTA総会の代休だった。昼下がり、懸案だった散髪に行って帰ると、我が家から徒歩10秒、震災後に出来た展望台風の所に人がたくさんいる。テレビカメラもたくさん来ているようだ。芸能人かな?それにしては黒っぽいな。誰か偉い人かな?と見てみると・・・なんとびっくり、総理大臣と市長である。最近写真で見た、そう、任命されたばかりの新しい復興担当大臣らしき人もいる。なんだ、事前に言ってくれれば、お茶くらいいれてあげたのに・・・(笑)。
 珍しいものは大好きなのだが、なにしろ取り巻きが多いし、眼光鋭いSPらしき人が見張っていて、無理に近づこうとすると面倒なことになりそうだったので、15mくらいまでしか近づけなかった。ある意味で15mは至近距離で、文句は山のようにある。しかし、この15mが果てしなく遠いのだな。
 で、今日は憲法記念日憲法というものを軽んじ、ないがしろにしていることにおいて、現総理大臣はなかなかのものだ。内閣法制局長官を更迭してまで強引に解釈改憲を行い、日本は集団的自衛権を持つとぶち上げた上で、特定機密法、新安全保障法を制定し、実際に発動するところまで一気にやってしまった。軍事研究の奨励も忘れてはいけない。そして今度は共謀罪(組織犯罪処罰法)だ。一方で、アベノミクスという呪文で国民を煙に巻き、永久に続く訳のない経済成長へ過剰な期待を持たせつつ、国の財政危機にも環境問題にも真剣に向き合おうとしない。恐ろしいものだな、と思う。
 今書いたような第2次安倍政権発足以来の流れや、マスコミに対する姿勢を見てくると、野党が言うとおり、共謀罪はどう考えても国民を守るテロ対策とは見えない。自分たちに逆らう者はつぶし、時間を戦前まで巻き戻し、武力に頼って生き延び、或いはもうけよういう強い意志ばかりを感じる。
 1ヶ月前に、ある弁護士の話を聞いた。その中で、面白い(実は恐ろしい)と思ったのは、治安維持法共謀罪についての政府答弁の驚くべき類似である。例えばこんな具合だ。


治安維持法をめぐる1925年の内相答弁)
「抽象的文字を使わず具体的文字を使用」「解釈を誤ることはない。」
   ↕
共謀罪をめぐる2017年の首相答弁)
「解釈を恣意的にするより、しっかり明文的に法制度を確立する。」


治安維持法 法相答弁)
「実行に着手する者を罰する。決して思想にまで立ち入って圧迫するとか研究に干渉するということではない。」
   ↕
共謀罪 首相答弁)
「国民の思想や内心まで取り締まる懸念はまったく根拠がない」「実行の準備行為があって初めて処罰の対象だ。」


治安維持法 法相答弁)
「無辜の民にまで及ぼすというごときことのないように十分研究考慮を致しました。」
   ↕ 
共謀罪 首相答弁)
「一般の方々がその対象となることはあり得ないことがより明確となるように検討している。」


 それらの答弁の果てに成立した治安維持法が、やがては拡大解釈され、改正され、数十万人の逮捕、7万5千人の書類送検、1682名の獄中死という結果を生んだ。萎縮効果の大きさとその悪影響はどれほどであっただろうか?見当も付かない。
 共謀罪の対象犯罪の多さについては問題になっているとおりだが、中でもよく話題となるのは森林法である。保安林でキノコを違法採取すれば、盗んだキノコを売り払うことが犯罪集団の資金源になり得るからだ、と言う。一方、海の密漁は対象になっていない。このことについて、なぜ山の違法採取は対象になるのに、海はならないのか?という論調で書いている新聞もあったが、やぶ蛇になりかねない。が、本当に重要なのは、違法に得られたお金だけがテロの資金になるということなどあるはずもなく、だとすれば、あらゆる経済活動は犯罪と結びつけられてしまう可能性がある、ということである。
 共謀罪についての国会審議では、法相の答弁を求めても、官僚が答弁に立つことが多い。ボロを出すのが怖いから、法相にしゃべらせないのだ、とよく言われる。復興大臣は問題発言等で、震災後6年あまり(復興担当相というポストが出来たのは、震災の年の6月末なので、そこからだとまだ6年にならない)で既に7人だ。当然、任命責任は問われる。それでも、世論調査安倍内閣の支持率は50%を割らない。やはり、怖いのは共謀罪でも安倍首相でもなく、それを支持している国民なのだ。
 昨日、我が家の隣にやってきた首相は、間もなく展望台から階段を下りると、黒塗りの車に乗り、去って行った。私は首相の車列というのを初めて見たのだが、先導の1台に続いて首相の乗る車が走り、その後を20台もの車が付いて走る。大型観光バスとマイクロバス各1台と2台のワゴン車も含まれるから、150人前後がぞろぞろと動いていることになる。大変なものだな。それはともかく、近くの災害公営住宅から集まってきたと思しき人々が、キャーキャーと大騒ぎをし、満面の笑みで手を振っている。まるでアイドル歌手でも来たかのようだ。ま、そういうことだろう。
 私が宮城県の教員として採用された時、校長室で宣誓というのをさせられた。憲法教育基本法を守ってがんばります、みたいな内容だった。私も公権力の末端。憲法は守る側に属する。
 当時は訳が分かっていなかったが、その後、本当に憲法教育基本法は守りたいと思うようになった。宣誓したとおりのことを実行しようとする、当たり前ではあるが模範的な公務員である。ところが、教育基本法は既に改正されてしまい、憲法も実質的に変えられてしまった。もしくは風前の灯火だ。私が守りたいと思うのは、宣誓をした時の憲法(含解釈)であり、教育基本法なのだけれど、それらが勝手に私から遠ざかって行く。今の自分には何が出来るだろうか?