拉致問題のジレンマ

 連日のように、朝鮮半島に関するアメリカ、韓国、中国、ロシアといった国の動きが報じられている。日本は半ば蚊帳の外だが、いずれ首相とキム委員長の会談が行われるという話もある。
 朝鮮半島の非核化について、諸手を挙げて賛成していいかどうか、私には悩ましい問題である(→参考記事)。もともと、5大国にだけ核兵器保有を認めるというのは不公平な話で、それでも、私が最近までそれを仕方ないと思っていたのは、アメリカにまだ一定の信頼があったからである。トランプ政権に変わってからというもの、その信頼は持ちたくても持てない。「アメリカ・ファースト」と言って自国第一主義を取ろうとする国が、核兵器だけは、世界の平和のため理性的に保有する、などということがあろうとは思えない。他国がアメリカを始めとする5大国に従属する形での協調=平和しか認めない、それを受け入れなければ世界に平和はないということだ。不愉快な選択である。
 日本には拉致問題という特別な事情がある。拉致はまったく許せない話だ。しかも、数年前に一度交渉が開始されながら、なぜかそれが消滅状態になっている。関係者の高齢化という問題もあり、関係者にとってはじりじりするような時間が経っていっていることだろう(→関係記事)。
 そんなことに胸を痛めつつ、一方で、この問題について明るい進展があった時に何が起きるか、ということを考えては、逆に暗い気持ちになるのを止めることが出来ない。それは、現政権の支持率だ。
 今の安倍政権ほど、大衆の心をよく知り、それを狡猾に利用、もしくは操る人たちというのはなかなかいない。そのことに驚嘆しつつ、ああ、善人には絶対に出来ない、とため息をつく。新聞に「レームダック(死に体)」だとか、「時間の問題」とか書かれつつ、総裁選3選も実現させ、支持率も落ちそうで落ちない。この間にやって来たことの悪が本質的であることについては、歴代内閣の中でも突出しているだろう。誰かがよく言っているように、正に「国難」だ。近い将来、日本は大きなつけを払うことになるに違いないのである。もちろん、安倍政権が続けば続くほど、そのつけは大きくなる。
 そんな中で、拉致問題が解決したらどうなるか?その他大きな悪の全てを無視して、大衆は安倍政権への支持を表明するに違いない。支持率は20ポイントくらい上がるかもしれない。それによって、国の借金を更に増やし、温暖化を推進させているかのような無理な経済政策を取り、憲法違反である可能性が極めて高い安保法、特定秘密保護法を制定し、欺瞞に満ちた働き方改革をさも素晴らしいかのように推し進め、儲かることが全てというIR推進法(カジノ法)を制定し、これら悪法を制定するために人事権をがっちりと掌中に収め、森友・加計問題から逃げ回り、時には開き直りながら、ぬらりくらりと得体の知れない、人をバカにしたかのような国会答弁を続ける・・・そんなことが、直接すぐにはデメリットを感じさせないためにチャラにされ、支持率を回復させるというのは、まったく耐えがたいことである。
 安倍首相が、拉致問題を解決させれば、そのこと自体はもちろん評価すべきである。だが、それによって彼がしてきた悪行はなんらそのマイナスの価値を減じるわけではないにもかかわらず、今以上に問題視されなくなってしまうこと、忘れられてしまうことが不愉快なのである。少なくとも私は、世論がそのように動くであろうと予想している。
 その予想に立って、拉致問題の解決を願わない私がいる。しかし、拉致は決して許せないと憤る私もいる。その狭間に立って葛藤が続く。葛藤してどちらに転ぼうが、拉致問題にも政権運営にも何ら影響は及ばない。気楽でもあるし、バカバカしくもある。