この図々しさが羨ましい

 かれこれ3週間ほども前の話、愛媛県から新文書が公表され、2015年2月に首相官邸で首相と加計学園理事長が面会したことが明らかになった時には、これこそ絶体絶命、これでようやくあの首相の顔を見なくて済むようになると、心の底から喜んだ。ところがびっくり。首相はその文書の内容を臆面も無く全否定し、それに合わせて加計学園は、文書に書かれた面会が虚偽であると発表した。首相の国会答弁を聞いていても、気分が悪くなるばかり。「ご飯論法」とは言い得て妙なり。
 そして首相は現在、得意満面、何事もなかったかのように外遊中である。う〜ん、政治家、特に首相になるほどの人ってすごいなぁ。人間って、これほど図々しくなれるものなんだ、と羨ましくさえ思う。そして、それを取り巻く人たちの萎縮ぶりにも恐れ入る。何から何まで、どう考えても「黒」だろう。
 財務省の文書改ざん問題も驚きの連続である。佐川氏など、在職中ならともかく、もはや既に引退してしまったのだから、この際、正直に全てをさらけ出してしまえばいいのに、と思う。全てを暴露して、今更失うものがあるのだろうか?国民に向かって誠実に懺悔をすれば、それなりに株は上がり、心でつながるお友達も増えて、今よりも幸せな余生を送ることが出来ると思うけど・・・。
 ともかく、首相にしても、財務相にしても、これだけ決定的に問題が明らかになっていながら、平然としらばっくれて、もしくは開き直っていられるのは、支持率が一定以下に下がることもなく、次の選挙でも勝てるという確信があってのことだろう。悪の否定に加えて、羽生結弦国民栄誉賞(→について)を与えて国民の歓心を買い、米朝首脳会談拉致問題に関する何かしらの前進でもあれば、ただの「瓢箪から駒」に過ぎなくても、自分の手柄に仕立て上げて、もう万全だ。
 彼らの読みが正しいか間違っているか・・・残念ながら、私には正しい可能性が高いように思える。世の中で為されている様々な選択は、全て目の前の利益が基準だという点で一貫している。スマホやパチンコ中毒になるにしても、大人の子どもに対する過剰な干渉やサービスにしても、野放しの自動車や飛行機にしても・・・である。長期的展望とか哲学的思考とは無縁の世界だ。安倍政権もその中のひとつに過ぎない。そんな中で、安倍政権だけが否定されるはずがない。全ては国民の責任である。
 そして、私が更にうさん臭く思うのは、声高に安倍政権を批判する人たちの中にも、そのことに気付いていない人が案外多いということである。目先の利益主義で衝動的に生きていながら、安倍政権の批判だけをしても、あまり力にはならないと思うよ。