首相辞任についての平凡な感想

 平凡な感想だが、意思表示はしておこう。
 ようやく、本当にようやく首相が辞めた。心の底から嬉しい。私は不誠実な人間が大嫌いなのである。口では「誠実に、丁寧に」と言いながら、黙り込み、無視し、人が忘れるのを待つ。誠実の「せ」、丁寧の「て」の字もない、本当に人間のかすだと思う。
 宮城県出身参議院議員・石垣のり子なる人が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と発信して批判されている。あれれ・・・、私が知る限りでは、石垣氏は首相に対して非常に批判的な立場だったはずなのだが、首相が体を壊さず、任期を全うした方がよかったと思っているのだろうか?何でもかんでも文句を言えばいい、というものではない。私は、首相が体を壊したことを「個人」の問題として同情しつつ、理由の如何に関わりなく、辞めたということに関しては喜びたいと思うのだが・・・。
 当然ながら、今日の新聞各紙は、首相辞任のニュース一色だった。安倍政権の「功罪」を検証するという趣旨の記事も多かったが、私は安倍政権にいかなる「功」も見出すことができない。株価の上昇、雇用の創出と言ったって、禁じ手を連発し、つけを全て(自分は既に退任しているはずの)将来に回して、一時的に実現させたものに過ぎない。
 一方、「罪」はわんさかある。最も重大なのは、民主主義の破壊だ。特定秘密保護法閣議による重大な法令解釈変更(集団的自衛権肯定や検事長定年延長)、国会審議の形骸化、そして公文書の改ざん(に関わったとしか思えないこと)や廃棄などである。これらは、今すぐにはダメージが表面化しないが、次の首相によって根本的に修復が図られない限り、国の存亡を左右するほど大きな災いをもたらすものである。
 いろいろな人が言っているとおり、首相を辞めたことで、森友や加計、桜を見る会のように、首相が逃げ回っていた問題がうやむやになるのはよくない。首相を辞めてチャラになる問題ではない。国民に大きな損害を与えたのではないかとも思うし、なにより、不都合なことはごまかし通すという生き方を、青少年に見せることのマイナスたるや甚大であろう。
 首相は辞任したものの、では、次は誰になるかという話になると、残念ながら明るい期待は持てない。当たり前である。安倍某なる人物は、機関銃を乱射しながら首相の座についたのではなく、基本的に選挙によって選ばれたのであり、彼は国民の質を反映しているからだ。首相が安倍であろうが岸田であろうが石場であろうが、国民の質を反映する以上、突然がらりと変わってよくなることなどあり得ない。
 言うまでもなく、学校教員の責任は大きい。私が教員でなければ、ただひたすら文句を言っていればよいのかも知れないが、自分たちの責任ということに思いを馳せると、何とも胸が痛み、発言もしにくい。こんな政治家を選ぶ国民にしたのは誰なのだ?「申し訳ありません」。これしか言えない。
 が、とりあえず、今はあの首相が辞任したことに対する喜びが大きい。