特別法とは奇怪な…

 腰痛がようやく落ち着いた。
 2月6日から、腰痛のために自家用車通勤にしていたのだが、あまりにも乗り降りがつらい。長距離通勤をしていた前任校時代はどうしていたんだっけ?と思い出してみると、自転車で駅まで行き、電車に乗り、歩く、という当たり前の生活をしていた。そう思うと、腰痛がひどいから自動車というのは変なのではないか?と思い、痛みはあったが、山は越えたような気がしたことでもあったので、火曜日に思い切って自転車に乗ってみた。なんだこりゃ?車よりも絶対に楽である。ドロップハンドルではないので、背中が少し反る形になるからかも知れない。体を適度に動かすということがいいのかも知れない。因果関係があるのかどうかも分からない。だが確かに、その後、痛みは急速に引いていったのである。座った状態から立ち上がる時に、腰を伸ばすのに多少時間がかかる。それくらい。痛みがピークの時は、もう生きているのも嫌になっていたのに、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」の言葉通り、あれをしたいこれもしたい、いろいろ勝手な欲望が疼いてくる。

 さて、天皇退位問題がいよいよ終盤。7日の新聞には、政府が一代限りの特別法を制定する方向で結論を出しそうだ、という記事が載った。南スーダンの「日報」問題や、共謀罪に比べれば、世の中全体が大騒ぎをするほどたいした問題にも思われないが、ともかく、これだけ大騒ぎをして出した結論としてはお粗末だ、と思う。
 なぜ一代限りの特別法かは、記事を読んでも全然分からなかった。なんでも、①天皇の意思表示を要件とすると憲法違反の恐れがある、②個人差があるため年齢で一律に決めにくい、というのが主な理由だそうだ。奇っ怪な論理である。天皇の意思表示を要件にすると憲法違反の恐れというのはその通りだろうが、だったら、意思表示を要件にしなければいいだけの話で、そのためにも、一般的ルールを作ってしまった方がいい。「80歳で退位」というくらいでいいだろう。個人差があるから年齢で一律に決められない、と言うなら、会社や公務員の定年も個別の判断をすべきである。年齢という自然の摂理に関することなので、天皇とサラリーマンを同一視するな、という問題には思えない。
 ともかく、退位の理由が、老化=公務の負担感の増大、であるとすれば、そんなことが今上天皇固有の問題であるはずがない。今後も天皇が高齢化すれば、同じ問題は起こるのである。
 特別法を制定して、スムーズな譲位を行う場合、その時期は平成30年末になるらしい。今からほとんど2年。既に男性の平均寿命を超え、間もなく83歳2ヶ月を迎える今上天皇の余命は、平均値に従えば約7年。2年生きていられる可能性は低くはないが、さほど高いとも思えない。天皇の意思を生かすのであれば、今上天皇が亡くなっても価値を持つ恒久法。それをする気が無いのなら、天皇は政治に介入してはならないことになっているのだ、と言って、いっそ知らん顔をする、あるいは、天皇に直接の意思表示をさせてしまった宮内庁の責任を問うて、幕を引けば良かったのである。これだけの大騒ぎをして、結局、譲位の前に天皇崩御ということになったら、本当にバカみたいだ。やっぱり、偉い人の考えることは、私には分からない。