「部活動」について考えた集会

 予告(→こちら)通り、この週末は川渡(かわたび)温泉に行き、組合主催の教育研究集会に参加していた。例によって(→こちら)家族温泉旅行を兼ねている。とても厳しい冷え込みになるとの予報だったが、宿の中にいたこともあり、雪が全然積もっていなかったこともあって、冬の厳しさを感じることなく、ぬくぬくとした2日間を過ごした。
 一応、職場の若者も誘ったが、誰も来なかった。昨年、彼らが来ない原因は、主催が教職員組合だという点にあるようだ、というようなことを書いたが、それはおそらく間違い。なぜなら、宮城県NIE推進委員会という半官半民組織が主催の研修会(→前回の時の記事)に誘っても来ない、あまりにも政治的に無色透明な民間のアカデミックイベント「ラボ・トーク」(→前回の時の記事)に誘っても来ない。結局、主催が誰かとか、テーマが何かとかいう問題ではないのである。誘う「私」が問題か、或いは、そもそも勉強しようなどという気がないか、ということなのだろう。私には、今の職場の若者が、どこでどうやって何を勉強しているかは分からない。ただ、日頃話をしていて、彼らが自分たちなりの場所、やり方で勉強しているという感触はなく、それどころか、本や新聞さえ身近なものではないのではないか?という気がする。生徒の不勉強よりも、更に困った問題だな。
 この2日間のあれこれについて全て触れることは無理なので、今日の午前中に開いた私が担当の、部活動を考える分科会についてだけ書いておくことにする。
 集まったのは20名だったが、そのうち2名は、前半の途中くらいまでに帰ってしまったので、実質的な参加者は18名だった。講師(助言者)の神谷先生を加えると19名である。30名という目標にはほど遠かったが、部屋の広さの問題もあり、議論をするにはほどよい人数だったと思う。
 昨日、大阪から来た「おまかせHR研究会」の方々3名による記念講演があった。ひどくノリのいい講演で盛り上がったのはいいのだが、その方々が、今日の午前、「クラス作り」分科会に出席されるということだったので、若者を中心に多くの方々がそちらに流れてしまう、「部活動」分科会側から見れば、人を取られる格好になるのではないかと恐れていた。ところが、ふたを開けてみれば、「クラス作り」には9名しか集まらず、多くの若者が「部活動」に来てくれた。分科会主宰者としては実に喜ばしいことなのだが、一方でこれは、若い教員が部活動で苦しんでいる実態を反映しているようにも思う。だとすれば、分科会の繁盛を喜んでいるわけにはいかない。
 まず最初に、神谷拓先生から「『ブラック部活』の処方箋 ― 脱『強制』の語り方」と題して、45分間の問題提起をしていただき、次に県内のN教諭が、部活についての最近の情勢を概説し、若干の休憩の後、いよいよ討論となった。
 私が恐れていたのは、この分科会が「ストレス発散大会」と化することであった。中には、確かにそのような発言もあったが、例外に止まり、たいへん冷静な議論が出来た。議論の中で出てくる質問に対する、神谷先生の回答も簡潔にして的確だった。これだけの人数が、2時間半も集まって、一つの問題だけについて議論する機会などそうそう作れるものではない。だから、予告編では「最後には、教職員組合に対して今後の取り組みを提言できるところまで持って行きたい」と書いたのだが、私が神谷先生の著書を読んでから、神谷理論に共感するようになるまでにも、ある程度の時間がかかったことだし、あまり無理をし過ぎるのもよくない、と思ったので、「結論」は出さなかった。それでも、今日の到達点として、以下の2点を確認した。

・勤務時間との関係で部活動に問題があることは明らかだ。部活動の歴史や現行制度を正しく知ることは、勤務時間を適正にしていく重要な手段になる。生徒、保護者、周りの教員の顔色をうかがったりせず、歴史や制度に基づいて、主体的な(毅然とした)態度を取ることも必要だ。
・部活動を学校教育の中でどのように位置付けるか(学校における部活動の目的)を明らかにすることが必要だ、という点を確認し、その具体的内容については、各自でもうしばらく考えてみることにする(神谷理論の是非も含めて)。

 さほど遠くない時期に、もう一度、何らかの形で意見交換の機会を持ち、組合の定期大会(6月下旬)を目処に、何か提言の形に出来るといい。部活についての合意を作るよりも、集まることがたいへん難しく、その原因はおそらく主に部活だ、というのは典型的な「困った問題の悪循環」パターンである。やれやれ。