期待は禁物

 いわゆるゴールデンウィークも終盤になったが、当然、旅行の予定などもなく、自宅でお勉強、時々Runとお料理の毎日。
 これだけ人の活動が制限されると、業種によっては本当にたいへんだろう。既に100社以上が倒産。一説には、緊急事態宣言が1ヶ月延長され、その間、営業の自粛(「禁止」と言わないのはズルい)の自粛も続くと、失業者が77万人も増えるという。倒産・失業による自殺者が出ることを危惧する報道も何度か目にした。確かにあり得る話だろう。
 一方、飛行機が飛ばないのはいいなぁ。新幹線も臨時が全て運休になった他、今月末からは定期便も間引きが始まりそうだ。地球環境には甚だ良い。もしかすると、コロナウィルスとやらは、人間を救うことになるかも知れない。まぁ、この状態が少なくとも30年や50年くらいは続かないと、本当の効果は生まれてこないと思うのだけど・・・。
 私が以前からよく言うとおり、地球環境の悪化(主に温暖化)がこのまま進んだ場合、その被害は想像を絶する。おそらく異常気象や食糧不足で死ぬ人は、今回の肺炎で死んだ人の何十倍、何百倍になるはずだ。IPCCが警告しているとおり、食糧不足の結果、食糧を奪い合う戦争が勃発すると、その死者数は桁が更に上がる。肺炎騒ぎで温暖化が回避できるなら、この程度の代償は小さいものである。
 肺炎騒ぎがあろうがなかろうが、人間生活の生き物としての基本は変わらない。「食べて出す」、ただそれだけだ。「生んで育てる」も入れるべきかも知れない。食べる量が変わるわけもないので、現在危機に瀕している職業の多くは、その意味で「ぜいたく産業」である。ははぁ、なるほど。今の社会には、これほど多くの「ぜいたく産業」があったのだな、と分かる。それが人間生活の「豊かさ」を演出していたのは確かで、もちろん、私などもその恩恵に浴していたわけだが、それらの職業が危機に瀕することで、私たちがどれだけぜいたくな生活をしていたかも、よく分かろうというものだ。今、ダメージを受けていない産業は「ぜいたく産業」ではない、というわけでもない。
 多くの土木工事にしても、すぐにはダメージを受けないにせよ、「風が吹けば桶屋がもうかる」式の理屈で、やがてダメージを受けるのが当然だ。なるほど、人間生活というのは、本来これほどスケールダウンが可能なものなのだな、と思う。
 多くの失業者が出て、その失業者をどの産業が吸収するのか、ということを考えた場合、医療・衛生用品産業で吸収できる人の数なんて限られているだろうから、ここで、「実は今の人口って多すぎるんじゃないの?」という話になる。
 本当は、失業者は医療・衛生用品産業ではなく、食糧生産にこそ移動すべきだ。持続可能な生活を実現させるということは、輸出入を止めても生きていけるということだ。ということは、食糧生産は今以上に人力に頼るものになるべきだ。そんな産業構造の転換が実現すれば、人間の存在は多少命を長らえることが可能になる。それでも、肺炎騒ぎによる失業者を吸収するのは難しいだろう。
 「豊かさ」によって「ぜいたく産業」が栄え、それで世の中は成り立っていた。その「豊かさ」は、イコール「石油を燃やす」だ。つまり、石油を燃やして豊かさが生まれ、本来「生きる」ということにさほど影響がないような産業が生まれた。それが、今、とても見えやすくなってきたのである。
 子どもたちが勉強も運動も出来ないような、今の生活は一刻も早く収束してくれないと困る。一方で、これをきっかけに、ぜいたくの塊のような今の生活の質的転換が出来るといい。もちろん、日本人全体がとても貧しくなるには違いないのだけれど、食えなくなるよりはいいはずだ。たかだか(と言っては語弊もあるが)数百人の死者が出たくらいで、これだけの大騒ぎをするのだから、将来やって来る数百万人、もしかすると数千万人もが死ぬような事態を回避するために、それくらいの努力と覚悟はしてもいいのではないか。
 とは言え、近年、人間がしていることは何から何まで変である。肺炎騒ぎについてだけまともな対応が出来るわけがない。というわけで、期待は禁物、ということなのである。