「心のケア?」・・・私には分からん



 先週の土曜日、生まれて初めて日帰りで東京に行ってきた。全日本教職員組合(全教)という組織の全国学習会があって、その冒頭で被災地の学校から報告をして欲しいと、前々から頼まれていたのである。

 11:30から、50分ばかりお話をした。3月11日以来、石巻で自分が見聞きしてきたことをそのまま話しただけである。

 多少の質疑があり、終わった直後、大阪か兵庫から来たと思しき方から声を掛けられた。私が、生徒の「心のケア」の必要性を感じていないと語ったことに問題があったらしく、憮然とした表情で、語気を強めて次のように言った。「今聞いた話は、私たちが神戸で経験したことと本当に同じだ。だが、神戸でも、心の障害は震災の直後ではなく、1〜2年経ってから表れた。私たちは、そのことをいろいろな形で発信してきたのに、受け止められていないのは心外だ。心のケアが必要になるのは、今からなんですよ。」

 私としては、あくまでも現在の自分の身の回りの状況についての実感のみ話をしたわけで、不勉強と言われれば確かにその通りなのだが、まあ仕方がない。そのご指摘をありがたく頂いておき、今後の備えにすればよいのである。今回の震災についても、世の中で「教訓」ということがずいぶん語られるが、神戸の教訓が私たちに生きていないとすれば、教訓を生かすのも難しいということを「教訓」にせねば、と思うばかりだ。

 ただ、私は以前から、「心のケア」にはけっこう冷たい人間である。ケアしなければ、と身構えることは、ケアの必要な状況をわざわざ作り出してしまうことになりかねないと思うし、人為的なものは別として、自然に原因があるトラブルは、耐え忍ぶしかないと考えることが、人間の心を鍛えるチャンスにもなると思うからだ。何でもかんでも、周りが世話を焼こうとする状況が日本にはあって、これが、何かにつけて私が問題とする、「内側から支えられていない日本人」を作り出してしまう。

 不登校にしても、それがただの怠け心でないのかどうかの見極めは難しい。「ふざけるな」と怒鳴りつけてしまった方がいい場合もあるかも知れないし、本当に病気の場合もあるかも知れない。

 先週火曜日だったかのNHK「クローズアップ現代」で「現代型うつ」を取り上げていた。見ていると、私が心の病にかかりそうな不愉快を感じたので、冒頭だけで消してしまった。それによれば、「現代型うつ」とは、連休明けや月曜日に多い倦怠感や虚脱感、会社には行けないが、趣味や娯楽には活発に取り組める、自分に対する罪責感がなく、世間や他人を責める傾向がある、抑鬱感や死にたいという衝動はないetc・・・というものだということだ。これが病気かと呆れてしまう。

 昨年1月6日の『読売新聞』に、なかなか深刻な記事が載った。それによると、SSRIという手軽に使える抗うつ薬が登場した1999年から、うつ病と診断される患者が急増した。

 心の病が疑われる時、「甘ったれるな!」と突き放すことで、万が一トラブルが起こると困るので、疑わしい時には病気だとしてしまった方が面倒がない。それによって、病休者が増えることは会社にとって重い負担になるが、面倒が発生するよりはマシである。医者も同様で、面倒を避けるためには病気だと診断してしまった方がいい。しかも、医者の場合は会社と違って、病人が増えた方が収入が増える。非常に使いやすい抗うつ薬の登場で、薬が処方しやすくなった=病名を付けやすくなった。そして、病気だとの診断が下れば「治療」や「ケア」が必要となる。

 私は、人間の精神とはなかなかに強靱なものだと思っている。歴史を学ぶと、人間の精神力に感嘆する場面がたくさんあるからだ。特別な英雄でなくても、である。ただし、それは人間が内側から支えられている場合だ。内側にあって人を支えるものは、正義感や使命感といった高尚なものである場合もあれば、領土や地位に対する欲望といったマイナスのものである場合もあるが、それはどちらでもかまわない。何かが内側にあることが大切なのである。

 内側から支えられていない人間が、精神に変調を来し、「ケア」という形で外側から手が差し伸べられる時、ことは悪循環を起こす。外から手当てされることで、責任を堂々と外に求められるようになり、内面が疎かにされて力を失い、内面が弱くなるからますます「ケア」が必要だ、という悪循環である。

 私は「心のケア」が必要だとも必要でないとも言っていない。分からない、と言っているのだ。だが、「甘ったれるな!」で出来る限り済ませるべきだとは思っている。多少の犠牲者が出たとしても、その方が、人間全体を「退化」から救うことになるからである。


(補1)上でも少し触れたが、「パワハラ」のような人為的な原因は、全く「甘ったれるな!」の対象にはならない。人間は、人間の愛情によってのみ本当に癒され、励まされるのと反対に、人間の悪行によってこそ本当に傷つくと思うからである。ただ、そのような場合は、原因を取り除くことの方が大切だ。必要なのは傷ついた心のケアよりも、人の心を傷つけてそのことに気付いていない加害者の心のケア(?)であろう。

(補2)参考として2010年4月27日の記事(→こちら)を参照されたし。

(補3)何ともタイミングのいいことに、今日の『河北新報』第27面には、「震災でストレス 教職員3割うつ 宮教組・小中学校調査」という記事、『石巻かほく』第1面には「小学生の不登校増加 震災が要因 心のケア指摘」という記事が出た。私には実感がない。ご参考まで。