「バラへの三つの願い」・・・中国近代の作曲家・黄自(2)


 我が家を探してみたら、ちゃんと「玫瑰三愿」の楽譜が出てきた。もともとこの曲は、バイオリンとピアノによる伴奏が付く独唱曲である。作詞者は龍楡生(龍七)。

  玫瑰花、爛開在碧欄杆下。

  我愿那妬我的無情風邪雨莫吹打!

  我愿那愛我的多情游客莫攀摘!

  我愿那紅顔常好不凋謝、好教我留在芳華!

  (バラの花が、青い欄干の下に、今が盛りと咲いている。

   私を妬む心ない雨風が、私を痛めつけたりしませんように!

   私を愛する多情な見物人が、よじ登って私を摘み取ったりしませんように!

   美しい花がずっとしぼむことなく、私を美しい盛りであり続けさせますように!)

 と私なりに訳してみて、私は「バラへの三つの願い」という曲のタイトルが変だということに気が付いた。どうしても、バラに願いを託すのではなく、咲いているバラが願っているとしか読めない。「バラの三つの願い」が正しい。

 CDも簡単に手に入った。二村英仁『音楽にできること』(SRCR2508)である。柴田龍一という人が書いた解説には、歌詞の中身として、「美しく咲くバラの花に強い風が吹かないように。通りがかりの心ない人にたおされないように。どうかバラよ、いつまでも咲き続けておくれ」と書いてある。やはり間違いだろう。言いたいことは最終的にだいたい同じだが、そう言ってしまえば、「文学的表現」など意味を持たなくなってしまい、残るのは砂を噛むような「説明文」だけだ。

 二村氏は、この曲のバイオリンによる伴奏パートを弾いているのではなく、声楽パートをバイオリンで単純になぞっているわけでもない。作曲家・西村朗氏が、ハープを含めた小さな管弦楽団を伴奏とするバイオリン独奏曲に編曲したものを演奏しているのである。長さは5分半。声は入らない。中国の香りもしない。ただ、しっとりと優美で落ち着いた曲相が本当に美しい。柴田氏は、この曲をマーラー交響曲第5番のアダージェットになぞらえているが、私はむしろ逆ではないかと思う。マーラーのアダージェットは男性的であり、更に、内省的で哲学的だ。この曲は、歌詞がなくても、女性の語りである(文言上は性別不明だが、内容的にそうとしか考えられない)ことが伝わってくるほどに女性的で叙情的である。

 ところで、戴鵬海の「黄自年譜」には、龍楡生自身が語ったこの詞を作った時のいきさつが書かれている。

 「音専の庭にはバラがたくさん植えられていて、美しい姿が人々の目を引きつけていた。ところが、戦争の影響を受けて、世話をする人もいなくなり、見る影もなくなりかけていた。音専で古典(詩詞)を教えていた私は、戦争が一段落した時に学校に来て、そんな情景を目の当たりにし、この詞を書いた。」

 その上で、戴鵬海は、この曲について、愛国歌曲とはまた別の意味で、黄自が戦火をかいくぐった後だからこそ生まれた感慨を表しているのだ、と評する。確かに、そのことを意識した時、この清楚なバラの花の美しさと、それを愛でる平穏のありがたさが、より一層身に染みて感じられる。音楽はその感慨を描ききって秀逸である。(続く)