C型肝炎の記録(3)・・・最初の肝生検



 添えられていたC型肝炎の相談にふさわしい県医師会指定の医療機関には、私の掛かり付け医であるY医師も含まれていた。早速、相談すると、肝炎の確定診断には生検(組織検査)が必要だと言って、塩釜の坂総合病院を紹介してくれた。私は1993年3月10日に入院し、11日にH医師(内科)による生検を受けた。

 生検は手術室で行われる。H医師が、私のへそのすぐ隣を2センチくらい切開し、バルブを取り付け、空気を送り込んでお腹をふくらますと、カメラを挿入する。私の顔の横にあるモニターテレビには、私のお腹の中が鮮やかに映し出された。出血していたりしないので、気持ち悪いということもない。むしろ美しい。医師は「ははぁ、きれいなもんだね」と言いながら、多少の説明をしながら写真を撮っていた。最後に、カメラで見ながら右の肋骨の下あたりから太い針を突き刺して、一気に肝臓の組織を採取する。この瞬間は私には見せてくれない。肝臓からの大量出血を防止するため、手術台の上で安静にしながら止血し、しばらくして病室に戻った。

 検査の結果は、3月18日に出た。大半が横文字で7行に渡って書いてある病理診断書は、私には全く読めなかったが、「非活動性C型慢性肝炎」とのことであった。C型肝炎には、主に病気の進行度合いによって「非活動性」と「活動性」がある。私は、そのうち程度の軽い方だということである。

 「GPT353」という基準値上限の10倍近い値が出ながら、肝炎が「軽い」とはどういうことかという疑問は当然である。

 私が今まで、肝炎の程度を表すために使ってきたGPTとは、肝細胞が壊れる時に、中から流出してくる酵素である。だから、この値が高いということは、肝細胞の壊れるペースが速いということだ。肝細胞が壊れること自体は異常ではない。髪の毛でも爪でも、伸びた先から抜けたり切ったりするものである。人間の細胞は、古いものが死んでいく一方で新しいものが生まれてくる。いわゆる新陳代謝というやつだ。だが、髪の毛にしても、抜けるペースがほどほどであれば、髪が薄くなったり禿げたりはしないが、生えてくるペースよりも速いペースで抜けるようになると禿げる。禿げる速さは、抜ける毛の量と生えてくる毛の量の差によって決まる。肝臓も同様である。誰でも少しずつ肝細胞が壊れているからGPTは0にならないわけだし、肝臓の機能が落ちることも肝臓が小さくなっていくこともない。しかし、破壊のスピードが再生のスピードを上回ってしまうと、肝臓が無理に組織を補おうとして、不自然な組織を作り出すようになってしまう。これが繊維化であり、肝臓が機能しない繊維の団子になってしまった状態が肝硬変である。だから、GPTが353でも、病気になってから時間が経っていないとか、肝臓の再生能力が特別に旺盛であるとかの事情があれば、肝臓の繊維化は軽微であるということになり、それこそが肝炎が進行していないという状態なのである。「非活動性」「活動性」とは言っても、炎症の度合いというよりは、その蓄積による肝臓損傷の度合いの違いと言った方が正しいだろう。手術室で見せられた私の肝臓の表面は、確かに、本で見ていた重度の肝炎や肝硬変と違ってつるつるしていた。

 さて、「軽い」で喜んではいけない。C型慢性肝炎であるということは断定されてしまったわけだし、「非活動性」を喜べない理由が、実はもう一つあった。

 この時期、すでにインターフェロン(以下、IFNと表記する)という薬がC型肝炎を治癒させる効果(可能性)があるということが分かっていた。ところが、この薬があまりにも高価なので、C型肝炎の患者全てに無制限に使っていたのでは、健康保険がパンクしてしまう。そこで、政府は、C型肝炎患者に対するIFNの使用は、効いても効かなくても1人1回、生検で活動性肝炎の診断が出た患者に限る、という制限をかけていた。しかし、IFNは、肝臓の損傷程度が低いほど効くということも既に言われていた。つまり、私は軽度だからIFNが効きやすい、しかし、「活動性」にまで悪化していないので、使うわけにはいかないという困った事態に直面したのである。治る可能性が下がらないと使えない薬とは、一体何なのだろうか?しかも、それは「医学」の論理ではなく、「経済」の論理によって決められている。私は、「世の中」を見た気分になった。

 C型肝炎の今後の推移について、H医師は「個人差が大きいのではっきりしたことは言えないが、このまま行けば40〜45歳で肝硬変、それから5年で肝がん、更にそれから5年くらいというのが標準的な経過かな・・・」と言った。「なかなか厳しいですね」と言うと、平然と「人間はどうせ死ぬものですから」と言う。これでよく医者が勤まるものだと、ひどく驚いた。

 だが、H医師の言葉を「配慮に欠ける」と言うことは出来ても、「大げさだ」とか「脅しだ」と言うことは出来ない。C型肝炎というウィルス性の病気は、自己免疫等による自然治癒の可能性がほとんど無く、慢性化率が非常に高く、ゆっくりゆっくり確実に進行し、やがて肝不全か肝臓ガンで死ぬ病気だ。真綿で首を絞められるような嫌な病気なのである。

 ともかく仕方がない。私は診断書と腹腔内の「記念写真」をもらって退院し、「順調に」進行しないことを祈りながら、今度は2ヶ月に1度のペースで経過観察を続けることになった。

 1992年末の急性増悪は、1年かけて沈静化し、次に急性増悪が来たのは1996年8月(GPT136)、これが7ヶ月で落ち着くと、その次は1997年11月(GPT192)であった。間隔が短い。この急性増悪は1998年1月にGPT72まで下がって、以前と同様に落ち着くと思われたが、驚くべきことに、同年3月の検査で、今までに見たことのない異常な値に跳ね上がることになった。