C型肝炎の記録(2)・・・HCV抗体の検出と感染経路



 なにしろ肝臓という重要な臓器である。経過観察はした方がいいであろうという医者の勧めに従い、その後も約半年に1回のペースで血液検査を受けていたが、幸い1992年も異常値の出ないまま終わろうとしていた。

 私は、12月の半ばにまた献血をした。すると、通常届く生化学検査結果の通知書に、今度は青い紙の「お知らせ」が添えられていた。それによれば、GPTが353であるのに加えて、HCV抗体が陽性であるとのことだった。

 そして「HCV抗体は自覚症状の有無にかかわらず、ウィルス性肝炎の一つであるC型肝炎と密接な関係があるとされております」「念のため、(1)本通知文、(2)血液型及び生化学検査成績、(3)健康保険証を持参の上、医療機関(別紙)で受診されるようお勧め致します」「これからの献血はご遠慮下さいますようお願い申し上げます」と書いてあった。

 私は再び動揺した。ABCの区別さえよく分からないが、「C型肝炎」が「慢性肝炎」の一種であることくらいは分かった。それは恐ろしい響きを持っていた。

 この時、日赤がこのような手紙を寄越したのは、GPTが353もあったからではない。これはむしろ偶然である。以前から、医学の世界では、A型でもB型でもない肝炎が存在することは知られていたが、ウィルスを発見できていなかったために、「非A非B型」と呼ばれていた。ところが、科学技術の進歩によって、1989年、遂にその正体を抗体という間接的存在によって捉えることに成功、11月からは献血でのスクリーニングも始まり、それによって私が引っかかることになったのである。この手紙は、GPTが基準値内でも届いていたはずである。

 ここで、一つ不思議なことに気が付くであろう。それは、1989年11月からスクリーニングが始まったのなら、昨日書いた1990年4月の時点で、日赤は既に私のC型肝炎に気付いていたはずではないだろうか?この点について、日赤から電話がかかってきたのか、私が質問のためにかけたのかは記憶にないが、電話で説明を聞いたことは間違いがない。それによれば、1990年4月、確かに私がC型肝炎に感染している可能性が高いことは日赤で分かっていたそうだ。しかし、当時は検査精度が低かった上に、C型肝炎について医療関係者でさえ十分な知識がなかったので、混乱を避けるために通知していなかったという。

 更に私が仰天したのは、日赤では、今回の結果を受けて、私が過去に献血した際の血液から保存してあった血清全て(20本あまり)を改めて検査し、最初の献血まで溯ってC型肝炎の抗体の存在を確認したという話だった。血液センターという所は、何年前までかは分からないが、少なくとも私が初めて献血をした1980年代前半からの全ての献血から血清が保存され、再検査(追跡)可能な状態になっているらしかった。当然、それらが誰に輸血されたかも分かっていて、その人達がC型肝炎に罹っていないかどうか追跡調査が行われるのだろう。ともかく、これによって、私がC型肝炎に罹患したのは、1980年頃以前であることが分かった。

 C型肝炎の感染経路は、主に二つだと言われている。一つは輸血であり、もう一つは予防接種である。他に入れ墨や血液製剤の使用という経路もある。B型のような性的感染は基本的にない。

 私の年代は、まだ、小学校で予防接種の回し打ちをしていた。数から言うと、これによる感染が最も多いらしい。日本人でC型肝炎を患っている人間が100万とも200万とも言われるのは、この集団的な感染経路が存在したからである。

 私には輸血歴もあった。私は、中学校2年生の夏に、「上咽頭線維腫」という良性腫瘍が発見され、東北大学病院で大がかりな摘出手術を受けた。良性腫瘍なので基本的に取れば終わりなのだが、何しろ鼻の奥、のどの上、脳の下という最悪の場所に毛細血管が団子になった大きな腫瘍があるとかで、医者が摘出の方法に悩んでいた。「上顎を割って摘出」とかいう恐ろしいプランが提示されたこともあったが、将来の長い子供に後遺症が残るような術式を取るわけにはいかない、という教授の鶴の一声で、上唇の裏からという鼻の手術の王道を行くことになった。結果として、それで救われた部分は大きかったが、若干の取り残しを出したことも確からしく、1年後に、再発のため同じ手術を繰り返すことになった。血液製剤(止血剤)、冷却麻酔、頸動脈結紮、電気メスという出血を抑えるための手段を総動員したにもかかわらず、2回の手術で5000ccほどの輸血をすることになってしまった。この時、血液製剤が使われたことも、今回のC型肝炎の感染源として可能性がある。

 また、今年4月14日に便乗的に書いたことだが、1988年1月に、私はアルゼンチンのブエノス・アイレスで黄熱病の予防接種を受けた。欧米人達から教えられて、注射器こそ使い捨てのものを使ってもらったが、ワクチンは、地元の人たちが回し打をする注射器を何度も突っ込んだ大きな瓶から吸い上げていたように記憶する。これも危ない。

 このように見てくると、予防接種の回し打ち、大量の輸血、血液製剤、更には海外でのいかがわしげな医療行為と、私の過去にはC型肝炎罹患の原因が、入れ墨以外は全て揃っているのである。