人の寿命は55歳?

 昨日の朝日新聞日曜版「Globe」を興味深く読んだ。特集は、「100歳までの人生設計」である。人間の寿命や晩年の過ごし方、安楽死の問題など、高齢化に伴う様々な問題に触れている。いろいろな国のいろいろな立場の人が、それぞれ別々のことについて書いているので、特集全体として何かの方向性を持った主張をしているわけではないが、それがかえって面白い。二つの記事についてのみ触れたい。
 私がまず目を止めたのは、「ヒトの寿命は本来55歳?」というもので、執筆者は小林武彦・東京大学分子細胞生物学研究所教授。何と言っても、私が今55歳なので、見出しのインパクトが大きい。氏は、55歳くらいから癌で死ぬ人が急増するということを根拠として、55歳を「遺伝的に定められた人間の寿命だ」とするのである。
 よくよく考えれば、「ああ、私も既に寿命なのだな」という寂しい感慨ではなく、「日頃冷たく扱う文明のおかげで、この年まで生きて来られたのは幸せなことだな」という感謝、感動が湧いてくる。
 私は小学校高学年の時に慢性副鼻腔炎にかかった。2年以上通院しても治らないので、すっかり嫌になって手術の決断をし、仙台市内の個人病院で手術したところ、まったく違う病気であることが分かった。上咽頭線維腫という腫瘍である。東北大学病院に移され、改めて大がかりな手術をした。鼻の奥、のどの上、脳の下というものすごく取りにくい場所だと医者が頭を抱えていた。副鼻腔炎だという診断で、長く効くはずのない治療を続けていたからだろう。切ってみれば、脳に達する直前にまで腫瘍は成長していた。良性ではあったが、取り切れなかったと見えて、1年後に再発し、もう1度切った。ギリギリそのタイミングで切っていなかったら、私はおそらく高校生くらいで死んでいた。
 その時、大量の輸血をしたからだと思うが、C型肝炎に感染した。それが分かったのは、30歳の頃である。C型肝炎についての紆余曲折は既に詳細に書いた(→こちら)ので、そちらをお読みいただきたい。ともかく、薬学の進歩によって9年前に治癒した。それがなく、一般的パターンどおりに病気が進行していたら、確かに、そろそろ肝臓癌で死ぬ頃だろう。
 今、私が元気そのもののような顔をして生きていられるのは、そのような出来事の上に立ってである。そのことを思う時、55歳が「遺伝的に定められた人間の寿命だ」という説は、私にとってリアルであり、感慨深い。
 もうひとつは、アメリカの生物地理学者ジャレド・ダイアモンドに対するインタビュー記事である。見出しは「わたしのピークは70代」だ。その中に、日本の人口減について、記者が質問する場面がある。ダイアモンドの答えは次のようなものだ。

「日本人は人口減を気にしすぎる。現代文明が危機にひんし、食糧や資源の確保が難しくなる状況下では、人口増より人口減の方がメリットが大きい。」
「日本の経済力は、人口ではなく創造力によるもの。資源に乏しく輸入に依存する国だからこそ、人口が減り、必要な食糧や資源が減るのは強みになるはずだ。」

 私は日本の経済力の原因について語ることはないし、一方で、ダイアモンドは、私が頻繁に口にする温暖化の問題には言及していない。とは言え、人口減を肯定的に見ている点ついては、私と同じだ(例えば→こちら。ただし、私はまったく別の観点から少子化を否定的に見ている部分があって、少々複雑)。したがって、私には非常にまっとうな正論に思える。しかし、この発言だけを見る限り、氏にはなぜ日本人が人口減を問題にするのかが見えていない。もちろん、それは天文学的な額に至った借金の圧力だ。首相が経済成長の実現を訴え続けるのは、人間の本能の表れであるだけかも知れないが、借金の実質的負担を下げ、国が破産することを回避するためにそれが必要だからである。常識をはるかに超えた借金を前に、常識は通用しない。
 そんな事情を知った時、ダイアモンドはどのように言うだろうか?