課長交渉(円滑な組織運営について)



 今日は後段、課長交渉の一場面である。

 私の目の前では、震災時の安否確認に教員が自分の携帯電話を使ったことについて、その費用を県が出すとか出さないとかいう話が行われていた。私は組合・県どちらの話も聞くに堪えず、あえて以下のように発言した。


「交渉の場で、このような話を私は聞きたくない。私は公務で自分の携帯電話を何万円分も使ったりしていないので、そう思うだけかも知れないが、この場でするような話なのか?

 しかし、このようなことが問題になってしまうのは、職場の中に非常にギスギスした状況があるからだ。

 今日、私は13時から職専免(職務に専念する義務の免除というシステム。いくつかの該当事由が定められており、「適法な交渉」はそれに含まれる)だ。法定の昼休みが45分間あるので、12:15以降は問題ない。しかし、私は間に合うように、授業終了直後の12:00に学校を出るつもりでいた。その旨、管理職に話したところ、私は1時間の年休を取るように言われた。12:00〜12:15の15分間について年休取得が必要となるが、年休は時間単位でしか取れないからだ。こんなことにこだわり、規則通りの厳密な手続きが求められるのに、勤務がいくら延びても、そのことについては全く問題とされない。また、私たちはもともと、必要な場合に自分の携帯電話で生徒と連絡を取り合ったからといって、その料金を県に請求するなどというつもりはまったくない。しかし、組合員に配る紙を数枚コピーしても、見つかれば怒られるという状況があるのに、仕事の必要に迫られてやむを得ず自分の携帯電話を使ったことについて、県(管理職)が知らん顔をするのはケシカランという発想が生まれる。全て、ギスギスとした窮屈な関係は、このような極めて杓子定規で形式主義的な県の対応によって作られて来ていると思う。

 こんなみみっちいことで言い争いをするより、お互いの良識や、仕事に支障が生じないという基準で、融通を利かせながらのびのびと仕事が出来るようにはならないものか?かつての学校は、そのような信頼関係で成り立っていた。残念ながら、今はまったくそうではない。ここの議論が、今の学校のつまらなさを象徴している。学校運営の基本的な姿勢について、ぜひ考えて欲しい。」


 交渉団席からは大きな拍手をもらったが、課長達は何の反応も示さず、話は再び、携帯電話料金をどうするかに戻ってしまった。おそらく、彼らの問題意識は、やはり法令の厳格な遵守であって、円滑に運営される職場ではないのだろう。私の知る限り、教員の大半は真面目すぎることが欠点だと思われるくらい真面目で、ひたむきな人たちだ。私なんか足元にも及ばないとよく思う。それを煩瑣な規則で縛り付け、様々な形式的手続きや会議で生徒から引き離し、勉強の時間を奪うのは実にもったいないことである。こんな環境の中で問題を感じずにいる先生、毎日ぴしっと背広を着て通勤し、管理職の指示には素直に従い、あらゆる点で絶対にボロは出さない先生が、20年後、30年後、生徒に懐かしく思い出される先生になることはないだろう。私はそれを寂しいと思う。今の学校は、枝葉末節ではなく、根っこの部分で議論をし、手を打たないとどうしようもない状態になっているが、事態は益々逆の方向に進みそうな勢いだ。なんだか、疲れますね。