「授業時数の確保」についての若干の考察(1)



 先週の水曜日、宮水の来年度の予定を決めるための職員会議があった。会の最後に私が校長に対する「お願い」として発言したことを中心に、少し書いておこうと思う。議論と言うよりは、単純な「お願い」で、しかも校長の裁量で何かが決まるという性質の問題ではないので、「暴露記事」という性質は帯びない。あくまでも話のきっかけである。

 議事の中で、(どこの学校でも)いつもいつもの事ながら、何度か「授業時数の確保」が問題となった。年間予定に関わる法令というのは、主に「1単位時間を年間35時間確保しろ」「長期休業(期間中の土日祝を含む)の合計を65日以内にしろ」というものである。前者は、行事を除いて教科の授業を年に35週しろ、ということだ。これが絶対不可能と言っていいほどに厳しい。賢明にして、校長も35を無理強いしたりはしない。どんなに頑張っても、今の高校では、30〜32週(3年生だと28週前後)が限界だというのは分かっている。だが、それでもかなり無理をして、という気がする。

 私が非常に不思議に思うのは、年35週というのがあまりにも現実離れした数字なので、ずいぶん昔からあちらこちらで役人も含めて、いろいろな人に、「なぜ35なの?」「どうしたら35に出来るの?」と聞いてみたのだが、誰一人として知っている人、答えてくれる人がいなかった、ということである。「学習指導要領にそのように書いてあるから」という答えが関の山であるが、それが答えになっていないことくらい、誰にでも容易に分かる。

 以上のようなことを確認しておいた上で、先週の私の発言を書いておく。

 「今日も再三問題になった授業時数の確保については、問題がふたつある。ひとつは、学校の性質に関係なく、一律に35と規定されていることで、もうひとつは、以前から、組合の交渉も含めてあらゆる所で、私はなぜ35なのか?ということを尋ねているのだが、答えてもらえた例しがないということだ。県や文科省の役人にも答えられないことが、規則として存在するからと言って、ただひたすらそれを守ることを求められ、現場が苦しんでいるというのはおかしくないか?思うに、35という規則は、昔の文部官僚が、学校内部の様々な事情を考慮することなく、机上の空論として導き出した数字ではないか?校長には、ぜひ校長会のような場所で、はっきりと35の理論的根拠を聞いてきて欲しいし、場合によっては、こうすれば35を確保できるという文科省のモデルプランをもらうか、宮水の年間予定表の何が問題で35が確保できないのか、チェックしてもらってみて欲しい。」

 私はこれまでにも、授業をあまりたくさん確保しようと無理するな、という発言を管理職に対して繰り返している。だが、これは少し意図が誤解されているかも知れないと、最近少し反省している。(続く)