教育長交渉(宮水の復旧について)



 今日は、県庁で行われた、教職員組合による「教育長交渉」及び「課長交渉」というのに出席した。これは、毎年夏に提出する「要望」に対する回答交渉で、テーマは小学校から高校に至るまでの教育問題・教員待遇問題全般に渡る。私は、前半(13:30〜15:00)の教育長交渉でも、後半(15:30〜17:00)の課長交渉でも発言の機会があったので、それを出来るだけ忠実に(文体は修正)公開しておこうと思う。今日は前段、教育長交渉での発言である。

【被災した学校の復旧について】

 まず、小林伸一教育長が、組合の要望書に対する回答として、「被災地の学校復旧や再建については、産業教育審議会に諮問している。年度内に出される答申を踏まえ、関係者の意見を聞きながら決定する。機械的に統廃合するつもりはない。」と答えた。これでは、決定は来年度以降になるし、復旧はさらにそのずっと後になる。それは職員・生徒のモチベーションの点でも、来年度入学生の確保の点でも、あまりにもダメージが大きい。そこで、私は、それに対する批判として、以下のように述べた。


「ご存知の通り、水産高校は現在、石巻北高の敷地にある仮設校舎で、1年から3年までそろって生活している。不便なこと、困ったことはたくさんあるが、最も困るのは、今後の見通しが立たないということだ。人間は目標が見えていてこそ頑張ることが出来る。私たちが欲しいのは、宮水がいつどこで復旧するのかというビジョンだ。

 7月の半ばに、教育長が談話という形で、宮水は渡波の旧校地で復旧させるという方針を示した。ところが、その後、復旧へ向けての具体的な作業は全く行われていない。渡波地区の全ての家で電気、水道、ガスが復旧した後も、宮水だけは手付かずだ。現在、実習だけは渡波の校舎を使わざるを得ないという現実があるが、発電機による電源が不安定で、しょっちゅうトラブルが起きる中での実習を強いられている。宮水には、工業、電気関係の専門家もいるので、電気を引くことがどれほど簡単なことかは分かっている。にもかかわらず、それすら行われないとなれば、私たちは見捨てられているのだ、という思いを抱く他ない。

 先日、予備調査の結果が発表された。県は、被災地の学校で震災による影響は認められないというコメントを出した。しかし、宮水では、間違いなく希望者が減少した。また、現在、土曜日に「進学相談会」と称して、中学生に対する個別説明会を実施しているが、昨年は、3人、5人と中学生が来たのに、今年は今のところゼロだ。それで、なぜ震災の影響はないと言えるのか?

 更に、私たちの神経を逆なですることがある。それは、石巻北高で宮水職員が車を止めていた場所に、新しい農業関係施設の建築が始まったということだ。これだけ、官民を問わず、急いで建築しなければならない物がたくさんある時に、そして、宮水については電気、水道の復旧すら手付かずの時に、北高にまったく新しい建物を建てる必要が本当にあるのか?しかも、それによって、宮水職員の一部は、500mほど離れた場所に車を止めなければならなくなった。

 こういったことの全てが、宮水は見捨てられたのだという思いを引き起こす。私は、宮水の交渉をするためにこの場に来たわけではないので、これ以上は言わない。しかし、このようなことは、被災した多くの学校に共通して言えるのではないか?優先順位ということを考えて欲しい。」


 教育長は、隣に座る教育次長と、何事かをぼそぼそと話し合っていた。そして、しばらくしてから、「もう少し時間をください」とだけ答えた。

 私は昨日、被災者のエゴのようなことについて批判的な書き方をしたばかりだし、自分のことについても、そうならないような自戒の念は持っているつもりである。その上で、震災後8ヶ月以上、現実的な必要性に迫られて実習に使っている宮水(渡波校舎)に電気すら引かれていないという事実、それを放置したままで、新しい建物を被災していない学校に建てることについての上記の批判が、果たして感情的なエゴであるのかどうか?私自身にはそう思えないのだが、いかがなものだろうか・・・?