災害と学校を考えるシンポジウム



 いよいよ本番、『災害と学校を考えるシンポジウム』である(17日14:50〜16:40)。会場である市邨(いちむら)学園高校視聴覚室には、150人ほどの高校生を中心とする人々が詰めかけ、満員状態であった。

 最初に私が、被災地の実情と、震災後の水産高校についてのお話をした。続いて、ボランティアに参加して現地を訪ねた3名の高校生が、報告と感想を述べた。ここで若干の質疑をした後、今度はフェスティバルの実行委員から、「基調報告」という形で、被災地支援とともに授業料が払えない愛知私学の仲間を支援することの意志確認、具体的な行動への提起が為された。その後、各学校の取り組みや決意表明が行われ、最後にまとめとして、私が「愛知の高校生に期待すること」を若干述べ、実行委員長が語って閉会となった。

会の前後も含めて、私はいろいろな生徒から、被災地のために私たちは何をしてあげることができますか?みたいな質問を多く受けた。本当に真剣に悩んでいる感じだった。秋の学園祭で、今回のようなシンポジウムをやるので来て欲しい、という依頼も受けた。

困ったことである、と言うか、違和感を持つ。愛知の高校生が、700Km離れた被災地のために何ができるか真剣に考えている一方で、私は、宮城の高校生が、地元を復興させるために何ができるか真剣に悩み、議論し、行動している姿というのが印象にない。もちろん、被災地にいて、多くの生徒が被災者であるとなれば、自分のこと、自分の家のことをしているだけで、それが復興への動きになるのは確かである。しかし、なんだか石巻の高校生の方がずいぶん真剣味に欠けるように思われてならなかった。

 また、某先生に聞いた話、ボランティアとして被災地に行った生徒は、大きなショックを受けて帰って来る、そして、まじめに勉強しない同級生を見て涙を流し、なじるのだそうである。被災地の高校生は、劣悪な環境の中で、それでも勉強したいとひたむきにがんばっている、なぜ何一つ不自由のない愛知の冷房の効いた教室で、その境遇への感謝も忘れてぼんやりと居眠りしていなければならないのか、と。私は自分が日々接している高校生の姿を思い出して笑ってしまった。同時に、愛知の高校生に申し訳ないとも思った。

 震災の中で、日々の復旧活動に動員されることもなく、のんきに学校で教科書を開いていることが許される幸せを、被災地の高校生にこそ自覚して欲しいものだと、改めて思ったことであった。

(今回の訪名に関するお話は、これで終わり)