被災地の風景と事情



 震災後3週間目を迎えた。年度が変わったからでもないだろうが、今まで1日4往復だった仙台行きのバスも、今日から一気に22往復に増便された。我が家に一番近い商店(一応体裁はコンビニだが、24時間営業などという節操のないことはしていない地元のお店)が店を開いた。少し嬉しくなって入ってみた。品揃えは半分強で、1人3000円分までという制限付きだが、それでも店が開いたというのは気分明るくなるものである。

 連日、新聞でもテレビでも、被災地の様子を詳細に報道しているわけだし、既に「アサヒグラフ」のような写真雑誌も出ているわけだから、私が付け加えることなどなさそうなものだが、報道を点検していると必ずしもそうでもなさそうなので、遠隔地でこれを読んでいてくれる人のために、少し身の回りの様子をレポートしておこう。

 津波は家や車を破壊し、人の命を呑み込んだ、というのは誰にでも分かる。しかし、現地にいると、津波が大量の「ヘドロ」を運んで来ることに驚く。全壊を免れたが、床上浸水をしたという家では、入ってきた水が塩水であるということと、家の中が厚い泥の層に覆われていることで、復旧作業が難航している。道路にも数センチ以上の泥が積もり、濡れていれば足を取られたり滑ったりするし、乾けば、もうもうたる土埃に不愉快を感じることになる。しかも、様々な施設が破壊されたことにより、汚水も相当あふれ出しているし、波に連れて来られたり、水産加工会社から流出した魚類も、道端で大量に腐敗しているので、悪臭も漂い、不衛生であることこの上もない。水産高校の講師・I先生は破傷風にかかってしまったし、肺炎が増えているという噂も聞く。また、我が家も含めて、車を失った人は多い。ガソリンは極度に入手困難である。となると、いきおい自転車が重宝だということになる。被災地を歩くには長靴と帽子とマスクが絶対に必要で、更に自転車があるとよい。

 何度か書いたが、救援物資はますます多い。10日ほど前からは、町内会を通して戸別配布も始まった。

 水産高校では、遂に、基本的に受け入れはお断りした上で、学校に避難している人々に対してだけではなく、近隣の住民にも「ご自由にお持ち下さい」的な対応を取るようになった。特に、毛布、衣類(古着含む)は過剰だし、消耗品では紙おむつとペットボトル入りの飲料水がもはや飽和状態である。不足しているのは、ガソリンや灯油といった石油類だけである。

 手当たり次第に物資を運んでくると面白いことも起こる。例えば、あるドラッグストアからの救援物資には、「乗り物酔い止め」の薬が段ボール1箱分も入っていたり、またあるスーパーマーケットからの救援物資には、「カロリーゼロ」をうたうゼリー状飲料が含まれていたりもした。

 食料品については、賞味期限との戦いのような感じがする。後から後から持ち込まれる物を、なんとか賞味期限内に食べようと努力が必要だ、という状態である。しかも、菓子パンを始めとして、やたらと甘いものばかりが多い。朝食が、クリームパン3個と「萩の月」(宮城銘菓)2個などという日さえあった。私は自他共に認める甘党であるが、それでも菓子パン類はもう勘弁といった感じである。メロンパンやらドーナツやらばかりで、コロッケパンやハンバーガーの類が全く来ないのは不思議と言うほかない。

 「しょっぱい」系と言えば、カップ麺は大量に届いた。ところが、これが難物。お湯を沸かすのが非常に難しいのである。電気もガスも来ていない水産高校では、水産加工実習用の工場でプロパンガスを使って炊き出しをしているが、入所している200人余り(当初は400人近く)に、カップ麺用のお湯を供給するのは不可能だ。夜、ストーブを付ければけっこう簡単にお湯は沸くが、それも全員分は難しいし、暗くなれば寝て、明るくなれば起きる生活の中で、そんな時間に誰もカップ麺など食べない。

 被災地の援助として、今、最もありがたいのは「人手」である。老人だけで暮らす世帯も多い中で、泥の掻き出しにしても、塩水を吸ってとんでもなく重くなった畳を外に出すにしても、非常に力のいる重労働が多い。時折、水産高校にも「自宅の後片づけのお手伝いをしますよ」などという民間のボランティア団体の人が来たりするが、引く手あまたである。 

我が家からとことこ階段を下りていくと、今回津波と火事のために全滅した門脇町、南浜町に至る。通常、買い物に行く人が時折通るだけの道だったが、震災後は通行人が数倍に増えた。上に10分ほど歩くと、桜やつつじが咲き、見晴らしがよいことで有名な日和山に至る。桜の季節にはまだ早いのに、こちらも相当数の人で賑わっている。ソフトクリームやらたこ焼きやら、テキ屋が屋台さえ出しているからびっくり仰天。見ていると、かつて自宅のあった場所に何かを求めて行く人もいるが、どうも「被災地ウォッチャー」とも言うべき一種の観光客が相当数いるらしい。被災者は、彼らを白い目で見たりはしていないようであるが、快いものでもないだろう。1000年に1度と言われる津波の被害を我が目で見てみたいという気持ちは分かるし、私も好奇心に駆られてずいぶん見て歩いたのであるが、その場合、カメラを向けるにしても、ある種の節度は必要であるような気がする。変なトラブルが起きないといいのだけれど。

まぁ、こんな感じ。