住宅地はすべて丘陵地に?!・・・「復興まちづくり方針」について



 被災地の復興計画ということが、頻繁に語られている。無理もない。津波によって更地同然という場所が、極めて広範囲にわたるわけだから、新しい街作りのチャンスとしてこれほどの状態というのはない。

 昨日の『河北新報』によると、村井宮城県知事は、津波で浸水した区域は原則として住宅地とせず、住宅地は内陸の丘陵地に移す、という方針を明らかにしたそうである。なるほど、それはいい考えだ、とは全然思わない。こういうのを「机上の空論」と言うのではあるまいか、と思う。

 今回の震災で、どれほど広い範囲が浸水したかということを考えてみるとよい。仮に「浸水」を、「水に浸かった」という意味ではなく、絞り込んで「床上浸水した」と考えたとしても、それは驚異的に広い範囲である。そこに建っていた家を移すだけの、内陸の丘陵地が果たして存在するであろうか?いや、存在するわけがない。だから、知事の言っていることを実行しようとすれば、これまた驚異的な範囲の山を削って、人が住める傾斜・面積にしなければならない。まずは、そのために費やされるエネルギーの膨大さ、油の消費量に目眩を感じる。と同時に、津波の被害で苦しむ現在は、津波こそが最大の自然災害であるかのように思いがちだが、そのようにして山を切り開いて家を建てれば、今度は、津波に対しては万全だが、豪雨(←これが近年本当に多い!)や地震の際の土砂崩れ、山津波の危険にさらされるという滑稽なことになってしまう。

 また、津波の危険にさらされているのは、今回被災しなかった多くの地域も同様である。東海、近畿、四国・・・といった地域は、そこが壊滅的な被害を受けてから、復興という形で住宅地を移すのであろうか?大津波が来れば悲惨な状態になることが分かったわけだから、やるなら日本列島全体で同様の作業を行うのが本当であろう。そう考えると、作業の膨大さはますます計り知れず、正に気の遠くなるような話である。何をしても、人間は自然の力には勝てないのだから、現実性を考えてほどほどにするしかない。

 ところで、ご存知の通り、我が家の南側は津波と火事で全滅してしまった。日々大型の重機が残った家を取り壊し、瓦礫を集め、きれいな更地にしている。地盤沈下がひどいらしく、満潮時には道路がけっこう冠水することもあって、確かに、人が再び住む気になるとは見えない。県の青写真によれば、この100haを優に超える土地は、緩衝地帯としての緑地公園にでもなるのであろう。人の不幸を喜ぶわけではないが、少し嬉しい気もする。このことが、震災という不幸な事故の結果でなければ手放しで喜べるのだけれど・・・複雑な心境である。

 ともかく、あまり拙速に陥ることなく、災害対策だけではない、機能と景観も含めた本当にいい街作りが出来るといい。先進諸国の中で、日本ほど街の景観に「美」の感じられない国は、おそらく存在しない。食うことを超えた抽象的な何かに価値を見出せるのは、人間の特権である。文化の洗練の度合いを表すと言ってもよい。今問われているのは、そのようなことなのである。