少し変化が・・・我が家からの風景



 昨夜10時半頃、消防車のサイレンの音が聞こえた。我が家の下の道路が、日和大橋への連絡通路のようになっていることから、さほど珍しいことではないが、音がしたからといって外を見ても、炎が見えることはほとんど無い。だから、私は、あぁ、また鳴っているなぁ、という感じで気にしていなかった。それにしても騒々しすぎるぞと、妻がカーテンの端をちょっと持ち上げて外の様子を窺い、わぁ、燃えてるぅ!と少し大きな声を出した。急いでカーテンを開けてみると、正にメラメラと、大きな炎を上げて家が燃えているのが見えた。

 このブログで何度も書いてきたとおり、我が家の南側は、津波によって全滅した南浜町である。瓦礫と化した家も、原形を留めていた家も、ほとんどは震災後2年目くらいまでに取り壊されてしまい、今は広大な荒れ地になっている。国が公園にするとかで、非可住地域に指定されている。その中に、1軒だけ、ぽつんと総2階建ての住宅が残っていた。家主は、娘の同級生の親で、私も面識があるのだが、外側は残ったとは言え、内部はすっかり津波にやられ、非可住地域に指定されたこともあって、将来的にも住める可能性はないのに、なぜ解体してしまわないのかは尋ねたことがない。燃えたのはその家である。

 今時の住宅は、外壁に不燃材が使われているので、中だけが燃えるのかと思っていたが、外側も含めて、全体が激しく炎を上げて燃えていた。周りに家がないので、我が家から直線で300m前後あるにも関わらず、本当によく見えた。10台以上の消防車が各方面から集まってきたが、1台が少し放水しただけで、それ以上の消火活動は行われなかった。近くに水を取れる場所もなく、燃えている家の財産的価値はゼロで、人命もかかっていないのだから、当然だろう。火は1時間半ほどで自然に鎮火した。

 今朝の『河北新報』で、同じような時間に、半径2キロの範囲で、2時間ほどの間に4件の火事があったことを知った。全て被災して人が住んでいない住宅で、放火だろうということだった。出勤後に聞いた話では、日付が変わってから、更に1件の火事があったらしい。

 どうして居住不能な家にばかり火を付けて歩いたのか、これが大変なことなのかどうか、はよく分からない。はっきりしているのは、また我が家からの風景が変化した、ということである。

 風景が変わったと言えば、この2〜3週間、我が家のすぐ下の旧門脇町一帯でも大規模な工事が始まった。パワーシャベルやブルドーザーが、残っていたコンクリートの構造物を壊し、整地をしたり、新しい土を入れて道路状のものを作ったりしている。南浜町と門脇町の間を走る通称「八間道路」は、少し場所を変えて5mほどの高盛り土道路になり、その北側(旧門脇小学校周辺)は多少のかさ上げをして住宅地になることになっている。昨年の早い時期に、そのための地鎮祭のようなことをやっていたのは知っていたが、おそらくその工事が本格的に始まったのだろう。

 道路の北側の可住地区が狭いので、市の思惑どおり人が住むようになったとしても、商店が戻ってきたりはしないだろう。燃えた門脇小学校も、県は震災遺構として保存するつもりらしいが、地元には否定的な意見も少なくない。高盛り土道路は、第2防潮堤としての機能を有するとは言え、アクセス便利な道路際に店が作れないという決定的な弱点を持つ。

 基本となる道路だけ多少整備して、どこに家を建てるか、被災した土地をどうするかは所有者に任せればいいのに、膨大なエネルギーを使って自然に逆らうような工事をするのはバカげている、と常にぶつぶつ言っている私は、何の期待もなく、むしろ累が我が家に及ぶことを恐れつつ、毎日ぼやーっと状況を眺めている。