風化は自然の摂理である



 暖かい。一方で、雨がよく降る。今日、数日ぶりで北上川の土手を歩きに行ったら、風景がずいぶん変わっていた。北上川は、更に一層大きな川になっていた。もともと大河である故に、少々の雨では水位の変化しない、その意味でも日本離れした川である。多分、水かさの上昇は、せいぜい30センチくらいのものであろう。それでも、全体的にひどく大きくなったように見える。菜の花はすっかり盛りを過ぎて、代りにハマダイコンの花が一面に咲いている。薄紫色の菜の花といった感じの花だ。イタドリも伸びてきた。

 話はすっかり変わる。

今年3月10日に、我が家の近くの幼稚園で震災の時に起こった悲劇について、少し書いた。

焼けこげたバスが見つかった場所には、その後も花や遊具、飲食物が供えてあったが、一昨日、きれいに消えていることに気が付いた。代りに、ベニア板で出来た看板二つが立っている。道路に面して立っている看板には、「これまで子供たちの為に手を合わせて下さり、ありがとうございました。少しの間、祭壇を“がんばろう石巻”の看板脇の方へ移動しましたので、よろしくお願いします。」と書いてある。その看板と背中合わせのように立つ看板には、「宅地です。工事をしますので使用しないで下さい。家主より」と書いてある。

 「がんばろう石巻」の看板とは、南浜町と門脇町の間を走る通称「八間道路」際に、個人が建てた横長の大きな看板である。家々が流失した何もない広場に、ベニア板で出来た看板があるだけなのに、いつのまにか被災地のシンボルのような扱いを受けるようになり、今や、休日には観光バスさえ止まるという観光地になってしまった。これなどを見ていると、人間という生き物はシンボルを求め、これは偶像崇拝を生む源なのだと納得されてくる。園児達のための花や供物はそこに移された。

 「バス発見地」の供物は、地主の許可を得て置かれていた物ではなかったらしい。津波で流され、火事で焼かれた場所の中では、最も山側に位置していて、都市計画の非可住地域には入っていないが、地主が本当に工事を始めようとしているのかどうか。おそらくは、彼らの間に直接のコミュニケーションはないに違いない。家主の看板が先に建てられたのだろうが、家主は今まで、それらの供物をどのように見ていたのだろうか?

 「バス発見地」という縁ある場所を離れた祭壇が、たいした意味を持つとは思わない。ご遺族が看板に書くとおり、それは「少しの間」になるはずだ。こうして出来事は風化し、やがては自宅の仏壇だけが残る。それでいい。全てが移り変わり、消えていくというのは自然の摂理である。