永遠なる響きに命燃やして



 今日の朝刊で、バイオリン製作者・陳昌鉉(チン・ヒャンヒョン)氏の訃報に接した。82歳だったという。

 日本統治下の朝鮮から来て、なんと大学卒業後に独学でバイオリン製作を始めたのに、「東洋のストラディバリ」と呼ばれる世界的名工となったこと、その人生がテレビドラマになったとか、多少の知識はあった。私はバイオリンの質の違いを明瞭に聞き分けるだけの耳を持っていないので、氏の作ったバイオリンを論評できる立場にはない。ただ、なんとなく、すごい人なんだろうなぁ、と思っていただけである。

 1996年と2005年に、12〜3人の主にベルリンフィルのメンバーがストラディバリウスばかりを携えてやって来て、「ストラディヴァリウス・サミット」という催しを開いた。ストラディヴァリウスの価値を聴き取ることができない私だが、それほどの名器を持てる人というのは必ず名人で、名人の演奏の価値は多少分かるので、時間的にも金銭的にも無理をして聴きに行った。

 2005年の時、ふとした気まぐれで、日頃は買わない有料のプログラムという物を買った。そこに陳昌鉉氏の「永遠なる響きに命燃やして」という、小さな字で4段組み、3ページに渡る長い文章が載っていた。コンサートのプログラムなど、評論家やタレントが、原稿料のいい頼まれ仕事として、出演者や作曲者に対する歯の浮くような美辞麗句を並べているだけのものだ、と思っていた私にとって、この陳氏の文章は新鮮だった。日本における「ロケットの父」糸川英夫氏のストラディヴァリウスについての講演を聴いたことをきっかけに、氏がバイオリン製作者を志したという話も、人の人生を偶然がいかに支配するかという事例として面白かったが、その後は、コンサートプログラムには不似合いなほど生真面目に、彼のバイオリン製作者としての思いと体験をつづっていたのである。

 この人は根っからの「職人」なのだ、と思った。いくら頼まれ仕事でも、自分自身の技を見つめながらしか文章が書けなかったのだ。バイオリンが、作られた時から300年の時間をかけて完成に達するように、「職人」の仕事は、長い時間の中でその真価を発揮し、成熟するだろう。陳氏の死は、彼の仕事にとってあまり大きな意味は持たないに違いない。合掌