有田正広、または田舎の演奏会

 今日は娘と一緒に有田正広・千代子夫妻のリサイタルを聴きに行った(遊学館)。
 我が家のクラヴィノーバに「ハープシコード」というボタンがあって、それを押すとそれらしき音が出る。私が、よくその音を選んで弾くものだから(ピアノの音より、音の不揃いがごまかしやすいだけなのだけれど)、娘が多少興味を持ったらしい。とうとう、半年あまり前に、これはどんな楽器なのか?と質問された。写真を見せながら説明はしたものの、クラヴィノーバの「ハープシコード」音と、本物のハープシコードチェンバロ)の音にはあまりにも大きな差があるので、一度本物を聞かせてやりたいなぁ、との思いを持っていた。そうしたところ、有田夫妻がなんと石巻に来るというので、連れて行ったのである。もっとも、熱狂的な有田正広ファンである私は、娘が行かないと言っても一人で行ったに違いない。なお、知らない人のために誤解のないよう確認しておくと、有田正広氏はフラウト・トラヴェルソバロック・フルート)の演奏家で、奥様の千代子さんがチェンバロで伴奏をする。
 有田正広のリサイタルに行くのは、1991年、1998年、2004年に続き、4回目となる。我が家にある彼のCDも20枚近い。おそらく、存命の楽器演奏家で私が最も好きな人の一人だ。あまり上手く説明できないけれど、本当の「名人」だと思う。千代子さんが仙台出身のおかげで、田舎暮らしの身ながら、平均10年に1度くらいのペースでリサイタルに行く機会を持てているのは幸せなことである。
 会場に入ると、チェンバロの横に小さな机が出してあって、上にはフラウト・トラヴェルソルネッサンス・フルートらしき楽器が置かれていた。プログラムの最初はドビュッシーの「シランクス」である。机の上の楽器で、20世紀のドビュッシーを演奏するわけないな、もしかしてベーム式の現代楽器を持って現れ、曲によって3本を吹き分けるなんていうことするんじゃないなかぁ、と期待が高まった。
 以前一度書いたことがあるが(→こちら)、私の愛聴盤の一つに、有田氏の『パンの笛』という学問的CDがある。「学問的」というのは、その2枚組のCDで有田氏は、1530年から現在までの13種類のフルートを使って、それぞれの時代の音楽(作曲家16人)を演奏している、つまり、フルート音楽史のCDだからである(伴奏は千代子さんだが、こちらもチェンバロフォルテピアノとピアノを弾き分けている)。しょせん2本か3本ではあるが、それに近い「音楽史の実演」が行われるのではなかろうか?と思ったわけである。
 予想通り、有田氏はきらきら光るベーム式の現代フルートを手にステージに登場した。ちなみにプログラム全体は以下の通りである。

C・ドビュッシー「シランクス」(フルートのみ)
G・F・ヘンデル フルートソナタ ト短調
J・V・エイク 小品3曲(フルートのみ)
J・Ph・ラモー 新クラヴサン組曲集から3曲(チェンバロのみ)
J・S・バッハ フルートソナタ ハ長調
J・ドンジョン 3つのサロンエチュード(フルートのみ)
G・Ph・テレマン フルートソナタ ロ短調
(アンコール:バッハ 変ホ長調ソナタシチリアーノ? と、オトテール「ル・ロマン」からの1曲)

 残念ながら、エイク以外の全てを、有田氏は現代フルートで演奏した。ルネッサンス・フルートでエイクを吹き、トラヴェルソは、フルートにはこんなものもありますよ、と言って、お話の中で紹介し、バッハのパルティータの出だしを少し吹いただけ。
 彼が現代フルートを吹くのを見るのは初めてだったので、これはこれで貴重な経験かな、とも思ったが、曲目はほとんどがトラヴェルソ時代のものである。どうしてこんなことをしたのだろう?一瞬だけ吹いたトラヴェルソの方がはるかに音色が美しく、魅力的だっただけに、残念だった。
 それでも、音楽としては何の文句もなく、「本物のチェンバロ」の音もさえていて、いい演奏だったのだが、400人収容のホールに客は100人弱?有田さんが話をするためのワイヤレスマイクは、最初から調子が悪い、舞台裏のマイクがオンになっていることに気付いていないらしく、舞台裏の会話がスピーカーから漏れてくる、演奏が始まっても大きな声で話をしようとする老人がいる・・・と、田舎の演奏会はマネジメントにも客の入り、質にも問題がある。どうも気持ちよく聞かせてもらえない。演奏会は演奏家だけが作るのではなく、主催者も聴衆も共に作るものなのだ、ということを実感した2時間でもあった。