平居家花見2018

 昨日は、曇りのち雨、春の嵐到来、という予報だったのに、起きてみれば無風快晴。午後の大イベント「平居家花見」(→昨年の記事)に備えて部屋の片付けを始めたら、電話の呼び出し音が鳴った。今日の花見に行けるとか行けないとかの連絡だろう、と思いながら受話器を取ると、名古屋は「愛知ボランティアセンター(ボラセン)」のH君である。

「あ、平居センセ、Hです。いま『がんばろう石巻』の看板の所におるんですけど・・・。」
「え?!ちょっと待って。5分以内に行くから・・・。」

 私はあわてて自転車に乗ると、妻と一緒に「がんばろう石巻」を目指した。ボラセンとは、旧知の高校教員M先生が主宰する団体で、東日本大震災直後から毎週バスで、主に牡鹿半島十八成浜(くぐなりはま)の支援に駆けつけてくれていた。この3〜4年はさすがに回数が減ったが、それでもいまだに関係を保っている。H君ともその縁で震災後に知り合った。本職がトラックの運転手なので、スタッフを乗せたマイクロバスの運転に駆り出されたわけだ。
 「がんばろう石巻」看板とは、我が家の下、南浜町に住んでいたKさんが、震災後、自宅が建っていた場所にベニア板で立てた大きな看板である。なんと言うことのない私的な看板だったのだが、偶像崇拝のニーズにマッチしたと見えて、被災地の聖地であるかのようになり、やって来る人が増えた。
 我が家からはほんの数百mである。ところが、久しぶりで行こうとしてみると、その途中の復興事業の大工事による変化が激しく、通れないところがたくさんあって行き方が分からない。すぐ近くに見えているのにたどり着けないのである。結局、大きく回り道をし、5分をかなり超えてたどり着いた。M先生もいる、T君もいる。
 ボラセンが「がんばろう石巻」に来ることは聞いていなかったが、この週末、十八成浜にやって来ることは知っていた。事前にH君から葉書をもらっていたからである。「十八成浜で会えませんか?」ということだったので、我が家のお花見があるから無理だ、と言ってあった。だからあえて、急遽我が家の下に来てくれた・・・のかどうかは知らないが、彼らに会えたことは嬉しかった。
 「がんばろう石巻」からは、我が家の桜も日和山の桜もよく見える。

「ええなぁ。最高のお花見日和やないですか。僕もセンセんちでお花見の方がようなってきたわ。」

と言いつつ、大好物で酒の肴にも最高の名古屋名物「えびせん」大袋を私に渡すと、H君はマイクロバスを運転し、十八成浜へと出発していった。
 天気予報どおり、雲がだんだん分厚くなってきた午後、日和山公園では寒くて花見どころではないことを気の毒に思いつつ、窓一面に桜が見える我が家では、ぬくぬくと「平居家花見」が行われた。桜は意外に持ちこたえて、今年もどんぴしゃ満開。今年来たのは、約1歳の子どもから60代半ばの大先生まで25人。私の家族を加えると29人。午後1時半に最初のお客さんが来てから0時過ぎに最後の3人が帰るまで、なんと延々10時間以上も食べ続け、酒を飲んでいたことになる。作曲家やら、ホンジュラス帰りの元海外青年協力隊員やら、相変わらずの多士済々。今年は「お寿司屋さん」こそなかったものの、K氏が持って来てくれた瀬戸内海産デベラガレイの干物なる珍品や、M氏持参の新鮮無比なるシラウオ、水産高校調理類型のシェフが1週間がかりで漬け込んだという特製牛タン、絶品卵焼きなどもあって、大いに盛り上がった。
 とは言え、私は飲み過ぎて、10時過ぎに部屋の隅でダウン。なんとも情けないのだが、元々我が家の花見は「14時頃から20時頃まで」とアナウンスしてあったのだから、私の体がそれに合わせて動いていた、というだけの話。と考えて、失礼を免じてもらうことにしよう。くたびれたけれど、いい1日だった。