ブラック・被災地巡検(1)

 昨日書いたとおり、昨日は県内外の高校教員10名あまりを案内して、石巻界隈の被災地巡りをしていた。とは言え、仙台発8:30。私は9:45に旧河北町の道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」で合流し、10:00発でツアーの後、石巻市内でバイバイ。バスは15時、最悪でも15:30までには仙台駅に帰着しなければならない。つまり、持ち時間は10:00から13:30のわずか3時間半。しかも、石巻市街から遠く離れた大川小学校に行き、昼食時間も含むという厳しい弾丸ツアーであった。そこで、私は前日のうちに資料(主に新聞のコピー)を配り、予習をしておいてもらった上で、当日を迎えた。
 我が家から上品の郷に行くには、普通、石巻駅まで行って、JR石巻線に乗り、鹿又駅で降りて歩く。徒歩−JR−徒歩で50分強、210円だ(→下見の時の話)。石巻駅発9:12の列車で鹿又には9:21着。さっさと歩けば、ぎりぎり9:45に間に合う。
 さて、目が覚めてみれば、気温は少々高めだが、すばらしい秋晴れだ。我が家のダイニングルームから真っ青な海を見ていたら、ふと、走って行ったら気分がいいだろうな、何分かかるかな?という思いが兆した。かつて震災直後に水産高校が居候していた石巻北高校までは10㎞だった。上品の郷はそこから2〜3㎞だ。ということは、我が家からだと12〜3㎞。北高を経由せず、北上川の土手をずっと北上すると、もう少し距離は短くなるかもしれない。若干の着替えと案内用の資料を持つ都合、小さなリュックサックを背負う必要があって、走るとなれば邪魔だな、とは思ったものの、帰宅後、走りに行く手間も省けるとあって、あっという間に、私の心は「走って行く」に傾いてしまった。
 自宅で特にすることもなかったのと、絶対に遅刻できないというプレッシャー、気温が出来るだけ低いうちの方がいいという思いから、7:50に家を出た。やはり、背中の荷物は邪魔である。しかし、ゆっくりとした、安定したペースで走って上品の郷に着いたのは、驚きの8:52であった。わずかに1時間。まぁ、12㎞であれば、本当は何も不思議のない所要時間である。たくさん汗をかいて爽快だ。着替えて、産直で野菜を買ったり、ジュースを飲んだりして時間をつぶす。
 案の定、バスは予定より15分早い9:30にやって来た。休憩を取っても9:45に出られる。走って早く来た甲斐があったというものだ。
 合流して最初に、私は「被災地に非常に冷たい被災地の住人・平居です。今から、人間のエゴと愚かさが渦巻く被災地をご案内します。」と挨拶をした。
 実は、1ヶ月ほど前に、やはり他県から来た団体さんの被災地ツアーに同行する機会があった。その時は、とある事情で私は本当に単なる同行者。複数の案内人が別にいたので、私は特に何かを聴かれることがない限り、黙って付いて歩いていた。何かを聴かれた時でも、私が自由に話すと、ツアーそのものを邪魔するような感じがしたので、答えは最少限に止めた。
 その時の案内人は、決して変な人でも悪い人でもなかったのだが、私は素直に話を聞けなかった。いかにも、「こんなすごいことが起きたんだぞ、教訓はかくかくしかじかだ」と、教える側に立って、ご高説を述べておられる感じが強かったのだ。これは、被災地案内人の典型的な姿なのだろうな、私は絶対にこのような案内の仕方はしたくないものだ、と強く思った。人は一般に、人が自分の話に耳を傾けてくれることは嬉しい。だが、それに酔ってはいけない。なにしろ、私たちはたまたまあの日被災地にいたというだけであって、努力して、人が耳を傾けたくなるような話が出来るようになったわけでも何でもないからだ。また、大きな地震があったら、一刻も早く、少しでも高いところに逃げろ、などという教訓は、今更、いや、震災からまだ7年半の現在においては、わざわざもっともらしく教えを垂れる必要のないものであるに違いない。
 わざわざ被災地に来る人の問題意識というものもあるわけだから、望まれれば、事実を事実として伝えることは必要かもしれない。だが、私にとって彼らに考えてもらうべきは、津波は恐ろしい→教訓は何々だ、ではない。人間は、被災に正しく対応してきたのか?である。その材料をこそ、彼らには提供したいと思った。
 あれれ、前置きみたいなことだけで長くなってしまった。ツアーの具体的な話はまた明日。(続く)