ブラック・被災地巡検(2)

 【大川小学校】
 ここについては、私も甚だ胸の痛む場所で、係争中の訴訟については割り切れない思いがあるものの、あまりエゴだの愚かさだのと言うつもりはない。「三角地帯を避難場所としていた」「裏山に逃げるべきだった」といった報道を実感として理解し、今の時点ではなく、当時の時点に立って、どうするべきだったのか?何が出来たのか?各自で冷静に是非を考えられるように、一度、現場を見てみることは大切。
 【長面(ながつら)】
 海と大川小学校との関係を知ってもらうとともに、現在、長面で進んでいる「復旧?」工事を見てもらう。
 大川小学校から海の方に4㎞近く走った所に、長面浦という入り江がある。長面浦の北岸が長面で、南岸が尾崎だ。外洋と長面浦との間に尾根があって、外洋から見ると尾崎は山の真裏になる。そのおかげで、長面は完全に津波で流失したが、尾崎はほとんど無傷だった(らしい)。しかしながら、市はその両方を非可住地域に指定した。にもかかわらず、現在、盛大に行われているのは防潮堤や、長面浦の入り口を渡る大きな橋の建設工事だ。石巻市街地界隈の復旧工事よりも、被災地の土木工事の何たるかをよく考えさせてくれる。
 【新?渡波地区】
 二股経由で石巻市街に移動する途中、被災地で最大(級?)の仮設団地が見える。石巻では、そのまま市街地に入らず、左折して牧山トンネルを抜ける。時間の都合で一昨日は行かなかったが、本当は、トンネルの出口で左折し、完成した渡波中学校方面を経由するのがよい。復旧、復興の名の下に、どれだけ田畑が埋め立てられたかを見ることが出来る。石巻といえども、古い住宅地や町中に多くの空き地、空き家があることを意識しながら見るとなおのこと哀しい。田畑の埋め立てということについては、蛇田地区の方が更に大規模。
 【魚町の高盛り道路】
 私たちはトンネルから直進し、「リバーサイド・イン」の横を通って、魚市場に向かった。「リバーサイド・イン」というホテルは、名前だけ見ればリゾート・ホテルであるが、実際には、全国から石巻に集まった土建業者のためのホテルである。いかにも仮設っぽい。震災後、石巻にいかに多くの人々が集まり、しかも、宿がいかに不足していたかを示す施設である。
 このホテルのある場所と、魚市場や多くの水産加工場がある魚町との間の道路は、高盛り化が進んでいる。第2防潮堤の機能を託された高盛り道路というのがいかなるものか、これは見ておいて欲しい。つまり、高盛り道路が出来ると、反対側の街の形状が見えなくなり、地域が分断される、道路を渡ることが出来る場所が限定され、特に歩行者にとって負担が大きい、道路際に商店を作ることが出来ない、といった問題が発生するのである。
 新築なった魚市場から超低温倉庫をバスの車窓から眺めると、高盛り道路に戻り、工事中の道路に並走、最後は一部完成した道路に上って、日和大橋を渡る。
 【雲雀野海岸防潮堤】
 日和大橋を越えると、雲雀野海岸の高さ7.2mの防潮堤だ。バスは防潮堤に沿って走る。もちろん、海は見えない。見えるのは白いコンクリートの壁だけである。これが東北3県あるいは4県の海岸線の全てを囲む防潮堤の姿だ。南浜地区のどこにいても、自分が海のすぐ近くにいることは実感できない。
 【南浜地区復興祈念公園予定地】
 「がんばろう!石巻」の看板に立ち寄る。なぜか被災地見学の人々はここに集まる。人間が「偶像」を求める生き物であることが実感できる場所だ。整備工事が進んでいる南浜地区の復興祈念公園についても、その概要を知ってもらうためにはいい場所である。この38ヘクタールに及ぶ公園の整備にどれくらいの費用がかかるのか、その後の維持管理にどれくらいの費用が見込まれるのか、私は計画協議会の委員であった時に繰り返し市に質問したが、市は明確な回答をしてくれなかった。500人が亡くなったと言われているこの街は、戦後作られたものである。昔の人には、地勢を考え、「住まない」という知恵があったのに、戦後の人々は、広い平坦な土地が安く手に入ることに心を奪われた。同情するよりも、そんな反省を胸に刻まなければ。
 【門脇小学校とその周辺】
 津波が押し寄せた上、火事で燃えた。私は資料として、今年9月4日の「石巻かほく」記事を配布した。左右対称に3分の1を解体し(3分の2を残し)、北側に観察棟を新設するという市による保存計画案が載っている。費用は8億5千万円だが、早くも数日前に、2千万円増額の報道があった。私は10億円まで増えても不思議ではないと思っている。しかもそれらは、初期整備のための一時金であって、維持費はまた別だ。これが震災遺構として残す必要があるものかどうか、参加者それぞれに考えてもらう。
 門脇小学校の前は、道路部分だけではなく、全体が高盛り化され、東西に大きな災害公営住宅が建っている。しかし、新たに造成された宅地は空きだらけで、災害公営住宅にも空室があると聞く。女川、野蒜などの方がよく分かるが、この道路や土地の高盛り化、防潮堤工事、非可住地域を増やしたことによる宅地の確保などのために、どれほど多くの山が切り崩され、田畑が埋め立てられたかは想像を絶する。そのことにはどうしても思いを致してもらわなければいけない。もちろん、そのために消費された資源の量もだ。
 門脇小学校から、我が家の近くの展望台風の場所に上る。防潮堤の向こうに海が見えてくる。参加者が、「ああ、本当にここは海の近くだったんですね」と口々に言う。逆に言うと、高所に上らなければ海の近くにいることにも気がつけない状態が作られているのだ。

 ・・・とまあ、限られた時間で、出来るだけ、震災以後の人間が何をしているかが分かる場所を効率よく回ったつもりである。否応なく、解説には私のバイアスが強くかかっている。ただ、世間の一般論には接する機会が多々あるはずなので、また違う視点から考えてもらうために悪くはないだろう。震災はやむを得ない自然の摂理であるが、その後の人間の対応はほとんどブラックなのである。