変わる、変わる、変わる。



 今日は小学校の運動会だった。昨日、仙台より8.4度低かった(!!)石巻は、仙台が今年初の真夏日となった今日も、6.8度低くて(!)夏日にもならない。いいなぁ、石巻(→参考)。快晴で風があまりなく、日射しも厳しかったため、気温の割には暑かったが、子どもたちは楽しく元気に運動会に参加していた。よかった、よかった。

 昨年は門脇小学校の「最後の」、そして今年は、石巻小学校と門脇小学校が統合して「初めての」運動会である。震災後の石巻地区には、「初めての」と「最後の」が非常に多い。それはともかく、昨年の門小の運動会は約100人、今年は350人である。立錐の余地もなくごった返しているということもなく、寂しいほど閑散としているということもなく、程よい規模の運動会なのだが、小規模であることに慣れすぎていると、戸惑ってしまう。

 予め、徒競走で子どもが何番スタートになるかなどのお知らせが学校からあったが、私は気にとめていなかった。ところが、生徒数が3.5倍になると、自分の子どもが探せない。自分の子どもに気が付かないまま、最初のプログラム、5年生徒競走が終わったところで、「お知らせ」の意味に気が付いたというお粗末。また、昨年は午前中で終わっていたのに、今日は昼食を挟んで14時半までかかった。小規模簡潔な運動会を標準として、それに慣れてしまうと、少々つらい。

 変化と言えば、最近、我が家の下の門脇町、南浜町の「復旧工事」というのが本格化してきて、ひどい不自由を強いられるようになっている。通称「八間道路」を高盛り土道路にするために、今の八間道路を封鎖し、仮設道路を新設した。その結果、我が家から日和大橋を越えて、水産高校のある渡波にまっすぐ行くことが出来なくなった。すれ違いに気を遣いながらジグザグの迂回を強いられる。更に、日和大橋の東側、水産加工会社が軒を連ねる魚町の片側2車線道路も、高盛り化するために1車線になり、朝の渋滞が激しくなった。私は基本的に自転車通勤なので、痛くもかゆくもないのだが、先日、とある事情で車で行ったところ、我が家から日和大橋を渡りきるまで15分以上かかった。直線距離で1キロ、工事が始まる前の道路を走れば1キロ半に過ぎない。工事による土ぼこりもひどいし、日曜日は休みだが、土曜日は工事をやっているので、音もけっこううるさい。本当に必要な工事なら、一時的なものだし仕方がないな、と思うだろう。が、そうは思えないから困る。

 自転車で南浜町を走っていると、最近は野鳥の鳴き声がますます激しい。ヒバリだけでない。私は鳥の鳴き声に詳しくないので、あまり確かなことは言えないが、数種類の鳥たちが騒々しいほどに鳴き交わしているのである。野鳥の楽園といった趣だ。もっとも、聞きようによっては、自分たちの楽園が間もなく「復興祈念公園」建設のために壊され、自分たちの住みかも命も失われてしまうであろうことに対して、抗議の声を上げているようにも聞こえる。

 彼らに替わって、「もう工事は止めてくれ、このまま自分たちの楽園にしておいてくれ」と絶叫したい気分になる。私は以前から何度となく言っているが、石油を際限なく燃やし、二酸化炭素を増やし、借金を増やし、自然を破壊し、高盛り土道路で分断された町を作り、巨大防潮堤によって人間を自然から隔離し、それでいて、何か立派なことをしているような気分に浸る、頑張っているという充実感に浸るというのは、本当に人間の愚かさを象徴する以外の何物でもないと思う。沖縄の米軍基地も、ISによる遺跡の破壊も、学校で行われている教育活動の多くも、被災地の復興も、不要もしくは余計なことをしながら自己満足に酔うという点で、本質的に何ら違いはない。

 そして、それをどうすることも出来ずに来た自分の無力への失望も大きい。