嗚呼、パルミラ!



 1週間ほど前、IS(イスラム国)がパルミラ世界遺産)に迫っている、というニュースを新聞で目にしてから、その後どうなったかなぁ、と気になっていた。そうしたところ、今日、ネットやテレビで、ISがパルミラを制圧したニュースが一斉に流れた。

 パルミラ以前から、ISは、ハトラなど、古代遺跡を占領しては破壊していることが報道されてきた。偶像崇拝を禁じるため、人や神の顔を含む彫刻は許せないとか、イスラム文化と無関係なものは全て悪だとか、遺跡からの出土品や彫刻の一部を売ることで、活動資金を作っているとか、いろいろな理由がささやかれている。それにしても・・・と思う。一度壊してしまえば、復元はできない。世界の中の一部の人の思想で、そのような取り返しの付かないことをしていいものか・・・?

 若い頃を中心に、私は好奇心に任せていろいろな所を訪ね歩いた。だが、私は博物館の類が苦手である。きちんとした歴史に関する知識と問題意識がなければ、見ていても面白くないし、記憶にも残らない。一方、美しい風景はいくら見ていても飽きることがない。

 私が訪ねたことのある遺跡の中で、ベストスリーは、マチュピチュ(ペルー)、バガンミャンマー)と、そしてパルミラ(シリア)である。4番手が思い浮かばないほど、これら3箇所は圧倒的に素晴らしい場所だった。だが、その私の評価に、これらの場所の歴史や文化様式についての価値というのは、おそらく何の影響も与えていない。私が感銘を受けたのは、ひとえに風景としての美しさである。そのためにはスケールが大きいことも条件となる。

 私がパルミラを訪ねたのは、1983年末である。もう少し具体的に言うと、1983年12月31日の夕方、ホムスからバスでパルミラ(現地ではタドモルという)に着き、1984年1月1日をそこで迎えた。どんよりと曇った、底冷えのする一日だった。山羊のチーズか何かのまずいサンドイッチを食べて、遺跡見物に向かった。そして、この日、丸々1日をこの広大な遺跡見物に費やしたのである。観光客なんてほとんどいない。平坦な砂漠の真ん中にある古代都市の廃墟は、静かで静かで、なぜかとてつもなく美しく、見飽きることがなかった。北の方、少し離れた所に丘があり、その上にはアラブ人の城跡がある。そこからの遠景がまた美しい。私がそこにたどり着く頃には、もう夕方の気配が忍び寄っていたが、午後になって差すようになった日が、よく見ると微かに波打っている砂漠と遺跡に、長い影とコントラストとを作り出していた。近くにベドウィンのテントがあり、彼らが羊の群れを追っていくのが見えた。ひどく幻想的な風景だった。

 あのパルミラがISによって破壊されるとしたら、なんとも惜しい。だが、一方で、こんなことも考える。

 パルミラが大昔から交通の要衝であり、繁栄を極めたとは言え、現在遺跡として残されているような巨大建築物が建てられ、女王ゼノビアを中心とした強力な都市国家として存在したのは、2〜3世紀のごく一時に過ぎない。パルティアとローマの防衛線上にあって、常に外敵の攻撃にさらされ、安定を得ることは難しかった。ゼノビアの死後、ローマの手に落ちたパルミラは、その後、独立を回復することはなく、やがて歴史の舞台からも消えていった。つまり、繁栄も没落も、様々な人間の欲望のせめぎ合いの結果なのだ。その意味で、今、ISがこの遺跡を破壊しようとしていることと、この遺跡が今のような形で残されたこととの間に、あまり違いはないように思われてくる。

 もちろん、破壊し尽くされてしまえば、そんな人間の欲望や優秀さや愚かさの痕跡がゼロになってしまうのであり、人間という存在を反省する材料がなくなってしまう。その意味で、遺跡が存在することと存在しないこととの間には、本質的な違いがあるかも知れない。だが、何百年か後の人は、地図を見ながら、オアシスがあり、東西の中間点で、地の利は大きいようなのに、何故この場所に遺跡(町の痕跡)さえ見出せないのか、と疑問を持つだろう。そして、その地に立って、小さな人工物の破片を発見し、昔は町が存在したこと、その町が人間の手によって破壊し尽くされたことを知るだろう。それもまたいいのではないか?人間のやることというのは、そういうものなのだ。

 内戦が激しくなって、シリア再訪はもうないな、と思っていたけど、今回のパルミラで、そのことは更に決定的となった。いろいろと理屈をこねてはみるが、やはり寂しい。パルミラの町で会った人、世話になった人はどうしているかな?むしろ、そんなことこそ気になったりする。