仙石線の「旅」



 今日は、朝から子供会の「資源回収」(昔は廃品回収と言った。この変化は、時代の思想を表していて面白い)、その後2時間ほど、我が家の視界を邪魔するようになってきた桜の木の枝切りに汗を流し、終わると仙台・名取に向かった。

 仙石線で仙台に向かうことにした。震災後、仙石線に乗るのは初めてである。現在、仙石線はいろいろと特殊な事情、運行形態があるので、一度乗ってみたいと思い続けていた。今日は急ぐ必要もないので、ようやくその願いがかなうことになったのである。

 仙石線とは、仙台と石巻を結ぶローカル線であるが、生意気にも、少なくともJRでは、東北地方で唯一の直流電化路線で、山手線と同タイプの通勤型電車(いわゆる国電型)が走っている。あおば通東塩釜は複線、そこから石巻までは単線である。松島湾に沿って走ることもあり、東日本大震災では、大きな被害を受けた。特に東名(とうな)〜野蒜(のびる)は壊滅的と言ってよいほどだった。仙台方面は少しずつ復旧し、5月28日までに仙台〜高城町が運転を再開したが、石巻〜矢本が運転を始めたのは、震災から4ヶ月後の7月16日、同じく矢本〜陸前小野は翌年3月17日、高城町〜陸前小野はまだ復旧していない。JR東日本は、被害の大きかった陸前小野〜陸前大塚を500メートルあまり内陸に移して復旧作業を行い、2015年度中に開通させるとしている。なお、運転を再開した石巻〜陸前小野も、電気施設の被害が大きかったために、ディーゼルカーによる運転となっている。また、不通区間には代行バスが運転されているが、通常、代行バスは不通区間のみの運行となるはずのところ、ダイヤ編成上の問題から、矢本〜陸前小野の運転本数が非常に少ない(1日にたった4往復)ことと、道路が狭くて高城町駅前に大型バスが入れないことから、代行バスは矢本〜松島海岸での運行となっている。不通区間代行バス運転区間が一致しないというのは珍しい現象だと思う。

 11:13発の矢本行きに乗る。前任校に通っていた7年間、本当にお世話になった路線である。しかし、風景は変わっていないはずなのに、今日はディーゼルカー(2両編成)なので、まるで違う路線に乗っているようだ。11:28矢本着。『時刻表』を見ると、電車の時より1〜2分余計にかかっているのに、気分が新鮮だからか、あっという間に着いてしまったように思えた。矢本駅には、代行バス乗り換え用の通路(誰もいない改札口)があって、出た所にバスが止まっていた。乗り換え時間は7分。誘導係のおじさんが2名もいる。列車から代行バスに乗り換える人は思いの外に多く、列車が空いていた割にバスは混んでいる。4分の3くらいの席は埋まった。バスは1台である。

 11:35に出発した。時刻通りの運転をするためか、ゆっくりゆっくり走る。停留所は鉄道の駅と同じで、乗降客がいなくても通過はしない。これも鉄道と同じだ。人の乗り降りはほとんどない。久しぶりで見る野蒜や東名の風景は、震災前を知る者にとっては、やはり悲しいものだった。

 バスをどこで降りるかは悩んだのだが、やはり鉄道の運転区間は全て鉄道に乗った方がいいなと思ったので、高城町で降りることにした。とは言え、高城町の停留所が駅からどれくらい離れているのかは分からないわけだから、少し不安はあった。結局、停留所はホテル壮観の正門前だった。12:10定刻に着いた。他の人たちは、電車に乗るにしても松島海岸かららしく、降りたのは私1人だった。駅までは、徒歩10分。

 12:29発の快速電車に乗る。ここからは、まったく以前通りの仙石線だった。被災地であることを思い出させる風景もない。多賀城〜仙台ノンストップの最も速い快速電車だったこともあって、13:00に仙台駅の地下、懐かしい仙石線ホームに着いた。

 石巻から1時間47分。高速バスより30分あまり遅い。それでも、2回乗り換え、遠回りをしたわけだから、時間差は驚くほど小さいと言うべきではないだろうか?なんだか、ずいぶんのんびりと「旅行」をした気分になった。何かの用事があって仙台に出る時に、今日のルートを使う気にはならないが、時にはこんな小さな旅も楽しい。