これは少し見直したぞ・・・ドボルザークの『レクイエム』



 半月ほど前、手違いでドボルザークの『レクイエム』のCDを買ってしまった。欲しかったものではないが、知らない曲でもあることだし、買ってしまった以上一度くらい聴いてみないともったいないと思い、「ながら聴き」をしてみたところ、これが意外にもなかなかよく出来た曲である。「ながら聴き」をやめて、その後、2回も聴いてしまった(1時間半以上かかる曲ですよ・・・!)。退屈しない。

 ドボルザークを私は全く評価していない。なんだか表面的で安っぽい音楽だと思う。私は日本の民謡が大好きである。だから、5音音階による土臭い民族音楽が苦手だというわけでは決してない。だが、ドボルザークはよくない。我が家にある1000枚を少し超えるであろうCD類の中で、ドボルザークは僅かに1枚半。チェロ協奏曲、そしてチャイコフスキーとセットになった弦楽セレナーデの盤だけである。これらにしても、前者はロストロポーヴィチカラヤンという黄金の演奏者に引かれ、後者はチャイコフスキーの弦楽セレナーデを買ったらドボルザークも入っていた、というだけである。『新世界』も『スラブ舞曲』もない。死んでから100年以上経つ方だし、演奏会のプログラムには頻繁に登場するようなので、古典として生き残っていくのだろうが、しょせん「子供の古典」である(←このブログの2008年5月26日記事参照)。

 ところが、『レクイエム』はなかなかいい。ただし、いかにもドボルザークらしい土の臭いはしない。知らずに聴けば、ドボルザークはおろか、ボヘミアの作曲家の作った曲だとも思わないだろう。ドボルザークらしさを感じず、なかなかいい曲だ、というのは、作曲家に対して非常に気の毒なコメントであるが、残念ながらその通りなのである。

 対位法にしても、管弦楽法にしても、ドボルザークという人はそれなりに優秀だな、と思った。そして、しっかりした技術に支えられて曲が作られているからこそ、人々から愛され続けているのだな、と納得をした。ドボルザークのようなメロディーメーカーは、「歌」でその本領を発揮するのかも知れない。今度は『スターバト・マーテル』を聴いてみよう。