まねきshop

 東日本大震災の被災地の中心に住み、家の20mくらい前まで津波が押し寄せ、目の前で大火事もあったのに、我が家の被害は職場で水没した車2台で200万円ほど(片方は軽の新車、片方は7年くらい経つFitだったので、こんなものだろう)であった。以前書いた通り(→こちら)、日和山の強固な地盤のおかげで、家はもとより、家財道具(食器を含む)にも被害はなかった。被害があったとすれば、そのような直接金銭に換算出来るものではなく、近所のお店がなくなったとか、徒歩15分の市立病院(夜間救急センター含む)が移転してしまったといった社会的利便性の喪失である。
 震災前、我が家の横の階段をとことこ下りていくと、スーパーマーケットがあった。徒歩2分である。そこから3分以内に、飲食店も郵便局もコンビニもケーキ屋さんも自転車屋さんも文房具店もあった。それらは全て津波で流され、燃えてしまった。跡地の3分の1(門脇町)はかさ上げされて住宅地となり、3分の2(南浜町)は復興祈念公園として整備される。
 かさ上げ工事は完了が間近だ。新しい宅地に、6階建ての復興住宅が2棟建ち、既に多くの人が入居している。整備された宅地に新築された家はまだ少なく、今のところ、後から後から家が建つという感じではない。売れたかどうかも知らない。我が家から新しい宅地を見下ろしながら、家族で「ここにわざわざ家を建てて引っ越して来る人本当にいるのかなぁ?」と時々言っている。その理由の一つが、「お店が一軒もなく、買い物だって不便だしねぇ・・・」というものだ。
 そんな門脇町に、1軒のお店が開店した。店を出したのは、私もよく知るテニスコートのオーナーHさんである。「お店の一軒もなければ、住みたくでも住めないでしょう。大きなものは無理だけど、ちょっとした日用品を置くくらいの店なら出来るかも・・・」と言っているのは耳にしたことがあった。歴史的にどのような家系なのかは知らないが、いわゆる素封家で、門脇町に結構広い土地を持ち、夫婦で会員制のテニスコート(ハード2面)を経営している。昔ながらの蔵を持ち、この蔵は震災に耐えて生き残った。中に収められていた地域の資料を、時々蔵ごと公開している。その蔵を10mほど移動させて、跡地に店を出す、という計画だ。
 しばらく行かないうちに、その店が開店した。無垢の木で作られた素朴な平屋で、もちろん派手な看板など出していないから、知っていなければお店とは気付かない。日曜日に我が家の下のお墓に娘とキャッチボールをしに行った際、Hさんのお店らしき建物の煙突から煙が上がっているのが見えた。娘と、「あれHさんのお店じゃない?煙出ているってことは、もう開店したのかなぁ・・・?」と話をして、見に行ってみることにした。Hさんはテニスコートをほったらかしにし、ご夫婦で店にいた。
 店の入り口には素朴な看板が掛けられている。「まねきshop」というらしい。全て杉の無垢材で出来た、シンプルだが木の香りが漂うすてきな空間に、多少の日用品が並んでいる。肉類は置いていないが、野菜、調味料、を中心に、日々の生活で必要になりそうなものがあれこれと揃えてある。Hさん手作りのお総菜も置かれていて、これは2品ずつの日替わりメニューらしい。郊外の農家が持ってきてくれるという野菜以外の商品は、スーパーの値段を知っている者にとっては、なかなか高価なのだが、Hさんにもうけようなどという気があるわけもない。少量のものを、あれこれ取りそろえて、いつ来るかも知れない客を待つとなれば、仕方がない。むしろ、これだけの店を開き、維持するだけでも大変なことであると容易に想像出来る。
 店の一角にベンチスペースがあって、コーヒーを飲みながら人とおしゃべりすることも出来る。ベンチスペースの横で燃える薪ストーブの温かさが気持ちいい。「近所の、(主に災害公営住宅に住む)お年寄りが、こんな所にでも出てきて人と関わる機会が持てればいいかなと思って・・・」とHさんは言う。そう、そんな慈善的な精神で作られた店なのである。偉いなぁ、と思う。