METの「マイスタージンガー」他



 2週間半ぶりで父子家庭から解放された昨日は、珍しく家族でスキーに行った。親戚から誘われ、子どもたちを雪山に連れて行ってやりたいとも思っていた折でもあったので、一緒に行くことにしたのだが、後から山形県との県境に近いセントメリー・スキー場だと聞いて、自家用車禁止論者である私のご機嫌は一気に斜めになった。半分の距離のところ(泉が岳)にスキー場が二つもあるのに、どうしてわざわざ石巻から、山形県のすぐ手前まで行かなければならないのか、そのスキー場でなければダメな理由も、親戚と一緒に行くメリットも特にないのだから、家族で独自に泉が岳に行くぞ、と言ったものの、既に約束をしたと言って聞いてもらえない。これが世間の人の石油を燃やすということについての感覚なんだよなぁ、と思いながら、私だけは行かないという形で抗議の意思を示そうかとも思ったが、結局やむを得ず、ご機嫌斜めのまま付いて行った。

 夜は仙台で酒を呑んだ。一浪して大学に入った前任校の卒業生Mが、いよいよ就職で仙台を離れるというので、他にも声をかけて呑むか、という話になった。卒業生が5人集まり、1軒に腰を落ち着けてなんと延々6時間、本当に楽しく気持ちよく、たくさん呑むことができた。最近は、若者にアルコールを口にしない人が増えたように思うが、昨夜の5人は、意外にも熱燗をぐいぐいと呑んだ。なんだか頼もしいぞ。

 今日は休みを取り、仙台市長町の映画館にメトロポリタン歌劇場(MET)のライブ・ビューイングを見に行った。演目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」である。一昨年から始まったこの企画、最初の年は同じくワーグナーの「パルジファル」を見に行って、このブログに感想めいたものを書いた(→こちら)。昨年は、ショスタコーヴィチの「鼻」を見たかったのだが、何しろ一つの演目を1週間しか上映しないので、都合がつかず、見逃してしまった。今年は見たい演目が二つあって、その一つが今週上映の「マイスタージンガー」だった(もう一つは5月末に上映予定の「カヴァレリア・ルスティカーナ」)。

 何しろ上映時間5時間40分という大作である。実際の演奏時間(音が出ている時間)も4時間半を超える。「マイスタージンガー」は、以前から、聴いてみたい見てみたいと思いつつ、なかなか決心できないまま、この歳になってしまっていたものである。絶対に邪魔が入らず、字幕入りの大画面で、この歌劇を見るチャンスは非常に貴重だ。幕間に映し出される舞台裏の情景や出演者のインタビューも面白い。5100円は高いけれど、仕方がない。平日なのに、20人くらい客が入っていた。

 指揮はMETの芸術監督ジェームズ・レヴァイン。演出はオットー・シェンク。歌手はミヒャエル・フォレ(ハンス・ザックス)、ヨハン・ボータ(ヴァルター)、アネッテ・ダッシュ(エファ)、ヨハネス・マルティン・クンツレ(ベックメッサー)、といった面々。芸術以前の話であって、問題にさえならないが、私のような俗人にとっては、この大曲を暗譜して歌える、棒が振れるというだけで偉大だ。

 レヴァインは、以前からその健康状態が問題となっていた。確かMETの音楽監督も、病気療養のために1年以上休んでいたはずである。今回見てみると、もはや足腰はまったく立たなくなっているらしい。まだ72歳とは思えない風貌で、地下からせり上がってくるらしい椅子に座り、観客に挨拶をする時も、電動で椅子の方向を変える。インタビューを見ても、パーキンソン病の影響か、あまり明瞭な話しぶりではない。ただ、これはある意味で驚異だ。レヴァインは1975年からMETの音楽監督、1986年からはMET初の芸術監督に就任したのだが、これほど病気がちで、現在の状況もいいとは言えず、公演キャンセルもたびたびなのに、解任という話にはならず、1年間以上病休を取っても復帰が熱望され続けたから、いまだに芸術監督として指揮台に立っているのである。彼の指揮ぶりを見ていても、なぜこの人が求められるのか、なぜこの人でなければだめなのか、ということは一切分からない。インタビューの中で、歌手の誰かが、レヴァインを讃え、彼はワーグナーが望んだ強弱を正確に作り出せる、というようなことを言っていたが、ワーグナーがどのような強弱を望んだかは楽譜からしか読み取れず、また、楽譜から読み取れることであれば、他の指揮者にもできそうなものだ。レヴァインのすごさがそんなところにあるとは思えない。指揮者が、自分では音を出さない存在であるだけに、本当に不思議だ。ちなみに、彼が「マイスタージンガー」を振るのは、METだけで34回目だそうである。

 さて、この曲は、前奏曲だけがオーケストラのコンサートでよく演奏される。私もライブでも、録音でも、かなりの回数聴いている。大変な名曲だと思う。たった10分の曲なのに、壮大な時空の広がりとドラマを感じさせる。人の感情をつかみ出して好きなように弄んでいるという感じがするほど、音楽それ自体が人を動かす巨大な力を持っている。音楽というもののすごさと、ワーグナーという人のすごさを痛感する。

 第1幕や第2幕もそれなりに面白いが、やはり、第3幕第2場歌合戦の部分の盛り上がりには圧倒された。最初の2幕はCDで音楽だけ聴いていたら、状況を理解するのは甚だ困難だっただろうな、と思った。最後の部分で、ヴァルターが歌合戦に勝ち、エファとの婚約を実現させて、めでたしめでたしで終わるのかと思ったら、マイスターの称号を受け取ることを辞退し、それによってハンス・ザックスが説教を垂れるという意表を突く場面がある。「マイスター」はドイツ文化の象徴として扱われていて、それを受け取らないことは、異人種の侵入を許し、崇高なドイツ文化を守り育てていけないという結果を生むことが訴えられる。「異人種」がユダヤ人を念頭に置いていたかどうかは知らないが、ワーグナーナショナリズムが露骨に表れている場面であり、それが気になる人にはとても不愉快な場面なのだろう。私は、あまり気にならない。純粋に音楽の力というものに関心が向き、そこに託された思想に問題があったとしても、頭の中で別扱いに処理することが出来る。ワーグナー愛するドイツ文化を日本文化、もしくは私個人にとって大切な何か、と読み替えてしまえばよいのだ。とにかく、あの前奏曲の構成要素であった様々な旋律が一丸となって、愛の成就とドイツ文化に対する讃歌を作り上げていくのは圧巻であった。やはりワーグナーは驚くべき作曲家である。

 昨夜あまりにもたくさん呑んだので、実は、今朝目が覚めると体調はよろしくなかった。なにしろ5100円もするわけだし、この体調で行くのはもったいないから、行くの止めようかな、と何度か思った。結局、私のような田舎住まいの人間は、一生「マイスタージンガー」を熟視する機会なんかないぞ、という内なる声に引き摺られるように行ったのだが、前奏曲が始まると目が覚め、つくづく行ってよかったと思った。1回見ていると、CDで聴いても分かるかなぁ?

(補足)シェンクの演出は自然で、奇を衒ったところがなく、非常に好感が持てた。歌劇の最近の演出についての私の不満は、「パルジファル」の記事とともにこちらを参照。