METの『パルジファル』



 新学期が明日から始まるという心落ち着かない今日、MOVIX仙台までわざわざ映画を見に行っていた。「METライブビューイング」というシリーズのひとつで、METすなわちニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演録画を、映画館で上映するという企画である。シリーズ第10作目の今日は、3月2日に上演されたワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』である(指揮:ダニエレ・ガッティ、演出:フランソワ・ジラールパルジファルヨナス・カウフマン、グルネマンツ:ルネ・パーペ、アンフォルタス:ペーター・マッティ、クンドリ:カタリーナ・ダライマン)。ワーグナーが死の前年(1882年)に完成させた、彼の最後の作品である。

 実は、ワーグナー作品を1曲最初から最後まで映像で見るのは、私にとって初めてのことであった。今やDVDで録画を入手するなど容易なことだが、なにしろ、ワーグナー作品は初期のものを別として、いかにもワーグナーがかったSFファンタジー的な作品は、全て長大なので、邪魔が入らない形でそれを見る環境が確保できない。今日の『パルジファル』だって、短い休憩が2回入るとは言え、開演が10:00、終演は15:40なのだから並々ではない。入場料はなんと5000円!。高いと言えば高いが、映像を見る以外にやることがなく、絶対邪魔も入らない環境が確保されることには価値がある。演奏と録画・録音の質に対する、配給側の自信を示す金額にも思われた。石巻あたりに住んでいると、ワーグナーの実演に接するチャンスなど、東京まで出なければ、死ぬまで絶対にないだろうし、東京に出れば、交通費も入れて、5万円ではおそらく済まないので、一度とにかく見てみようと思ったのである。『パルジファル』なら相手に不足はない。わずか5〜6日ではあるが、せっせと予習もした。

 125席の劇場に、客は15人あまりだった。入り口で「タイムスケジュール」なる紙が渡された。第1幕と第2幕の間に30分、第2幕と第3幕の間に25分のインターバルが設定されているが、実は「休憩」ではなく、そこで出演者へのインタビューがあって、実際の休憩は15分と10分である。しかも、実際に見てみると、休憩時間中に、舞台裏で舞台装置を組み替える様子がずっと写されていて、これが面白いので、トイレにもおちおち行っていられない(私は「舞台裏が気になる人間」である=2012年10月8日記事参照)。映像と音はほどほどで、特別に素晴らしいというほどではなかった。

 私は、ワーグナーの音楽の持つ「力」に対して、深い尊敬を抱いている。だが、正直に言ってしまうと、5時間の歌劇を最初から最後まで素晴らしいと思いながら聴くことはできなかった。2回くらい、ごく短時間だが居眠りもしていた。これはどんな場面の音楽だ、ということを確認した上で、主立った所ばかりを断片的に聴く方が素晴らしいと思える。歌劇はやはり、レチタチーヴォとアリアのけじめがしっかりとついたものの方が好きだ。私がまだ未熟だということかも知れない。

 今回の『パルジファル』は新しい演出ということも「売り」であった。ワーグナーによって、舞台は中世のスペインと指定されているのだが、今日の演出では現在、もしくは近未来となっていた。抽象的な舞台装置が多く、場所も分からない。

 このような演出が増えていることは、私も新聞等で知っていた。今日の演出についても、演出者自身がインタビューに答えて言っていたが、過去を舞台とした物語が、現代にも当てはまる普遍性を持つことを明瞭にすることが、このような演出の目的なのだろう。しかし、私は許されるのかな?と思う。作者(ワーグナーの場合は音楽も脚本もワーグナー)が舞台設定について指定しているのに、それを変えるというのは、楽譜に手を加えるのと同じ事なのではないだろうか?楽譜に手を加えるのはまずいのに、舞台設定を変えることはなぜ許されるのだろうか?演出は作者の指定の範囲内で、解釈の余地のある部分に限るべきだと思う。普遍的な価値の抽出という作業は、鑑賞者自身が行うべきものであろう。

 ともかく、何にも邪魔されずに長大な歌劇と真剣に向き合うことの出来る場というのは貴重である。今シーズンは残り2本だが、10月以降、次のシーズンもこの企画は継続だそうである。演目と出演者を見ながら、もしかすると再び足を運ぶ気になるかも知れない。