部落問題または世の中の時間の加速



 昨日と話が前後するが、土曜日は、奈良県の某教員と酒を呑んでいた。初対面の人だったのだが、彼の自宅が、住井すゑの『橋のない川』の舞台の近くだということから、部落問題の話になった。

 東北の人などにはまったく分からない話であろう。世の中には「部落問題」という困った問題があるのである。『橋のない川』もそうだが、島崎藤村の『破壊』(舞台は長野県)あたりが、それを扱った文学作品として名高い。江戸時代に、士農工商という序列の下に「穢多(えた)」とか「非人」とかいう第5身分があって、明治以降、士農工商身分制度が崩壊した後にも、なぜかこの第5身分に対する蔑視(差別)だけが生き残り、様々な社会問題を引き起こして来た。第5身分とは、皮なめし、屠殺・精肉、剥製作りといった動物の体を扱う職業に従事していたり、死刑執行人あたりが該当すると聞いたことがある。

 実は、私は宮城県名取市から、中学2年の夏に、兵庫県の龍野市(現たつの市)に引っ越したのだが、この龍野というところには、周辺に、同和地区と呼ばれる被差別部落があった。全国でも、部落問題が激しい形で残っている場所の一つだということだった。市街から自転車で10分あまりの所に、皮革業者が集中しており、垂れ流された汚水の異臭が常に漂う地域があった。そこから通う同級生には、非行と低学力が多かった。

 宮城には部落問題など存在せず、「部落」という言葉は「集落」と同じ意味だから、同和問題に初めて接した時の驚きは大きかった。私がどのようにして、その問題と出会ったかというと、なんと中学校の授業には、毎週一回「同和(という名前だったかどうかは記憶が定かでない)」の授業があって、兵庫県教育委員会が作った『友だち』という教科書を使って、普通の道徳の授業のようなことや、部落差別史、部落解放史のようなことを勉強していたのである。「同和」とは、部落問題だ。この授業は、高校に入るとなくなるが、年間のLHRの授業の中である一定数のコマを同和教育に当てるということが決まっているようだった。

 部落問題は、私のようなよそ者には実感しにくい。結婚差別、就職差別が、今なお根強く残っていると言われたって、親戚も近くにいない状況では、中学生に実感できるわけがなかった。ただ、上に書いたような同和地区(被差別部落)の生活環境の異様さ、そこから通う同級生の荒れ方によって、なんとなくそれを実感していたのだが、それとて、何か変だな、というだけであって、根の深い社会問題として認識することは出来なかった。そして、週に一回の「同和」の授業を、非常に面倒なものと感じていたのである。

 さて、その奈良県の先生は、ひとしきり同和問題同和教育について語り合った後、現在はそのような問題は存在しないと言った。もはや、結婚や就職で差別されることもなく、県ごとに教科書を作って「同和」の授業を展開することもなくなった、と言った。100%というわけではないかも知れないが、被差別部落の問題は、解決、もしくは雲散霧消したという感じだった。

 これは素晴らしいことである。当たり前のことではあるが、「当たり前」は常に難しく、それだけに高い価値を持つこともまた真実である。

 しかし、私はもうひとつ、こんなことも思った。私が中学・高校生活をしていた時期まで、明治維新から約110年。それから現在までが約35年である。110年かかって解決しなかったことが、35年で解決したというのは、人間の進歩というよりも、むしろ世の中を流れる時間の加速と言えないだろうか?人類が生まれてから100万年、しかし、産業革命後の200年あまりの変化は、それ以前の100万年近い時間よりもはるかに大きな変化をもたらした。ライト兄弟の飛行機が初めて空を飛んでから、わずか70年弱で、人間はジャンボジェットを作り上げた。いやそれどころか、ほとんど同じ時期に月に有人ロケットを到達させた。初めて大きな「携帯電話」というものを目にしてから、わずか20年で、時代はスマートフォンが主流の時代になってしまった。明らかに、狂ったような勢いで時間(=変化)は加速している。私には、部落問題の解決がその文脈の中に見えてしまう。