念願かなって進水式!



 先月末に、宮水の進路指導部研修会としてヤマニシという造船所を見学したこと、その際、建造中だったヤマニシ史上最大の船が、進水まで約1ヶ月という建造の佳境にあることを書いた(→こちら)。そして、今日はその進水式。見学に行った時、進水式の日取りを聞き、見せてもらえるのか尋ねてみると、「ぜひどうぞ」と言ってもらえたので、夏休みのうちから、学校を脱出するためのやりくりに努め、この日を心待ちにしていた。

 私は、兵庫県龍野市(現たつの市)という所で高校時代を過ごした。隣に相生市という町があって、そこには石川島播磨重工業(現IHI)の巨大な造船所があった。私は天気のいい土曜日の午後、授業が終わると、大好きな瀬戸内海によく自転車で出掛けた。御津(みつ)から、「七曲がり」と言われる美しい海岸線を相生へと通り抜けて龍野に戻るのだが、相生湾東岸の道路を走っていると、いつも対岸に建造中の大きな船が見えていた。一度、造船所の中を見てみたい、進水式というものに立ち合ってみたいと思いながら、その機会もなく、高校を卒業して私は兵庫県を離れ、海から遠離ってしまった。

 図らずも、高校時代に実現しなかった造船所と進水式の見学が、今年、一気に実現することになった。私は小学校に寄って、授業が終わったばかりの息子を車に乗せると、ヤマニシに行った。着いたのは、式が始まる30分前の15:30であった。今日もしとしとと雨が降っている。

 7月に見た時には、外部も3分の2くらいしか出来上がっておらず、もちろん、塗装も施されていない状態だったが、今日はすっかり新造船となっていた。もはや、外観からでは未完成だとは分からない。神事を行う場所が作られ、仰ぎ見るような所にある舳先には紅白幕がかけられ、くす玉がぶら下げられていた。7月に、全長が168mで、ヤマニシ史上最大の船だという話は書いたが、今日聞いた話によれば、幅は26.6m、総トン数は10100トンだそうである。陸に置かれている1万トン級の船というのは本当に大きい。

 集まった参加者・見物人は100人くらい、他にヤマニシの職員が100人あまりいただろう。神事を行うための関係者スペース以外については、立ち入り禁止ラインは引かれていたものの、それ以外、特に見物場所を指定されることも整列させられることもなく、ばらばらと傍観している感じであった。

 さて、ここまで「進水式」と書いてきたが、正式名称は「ヤマニシ1098番船命名進水式」だそうである。ヤマニシで作られた建造番号1098の船が、この式の途中で名前を持った船に変わり、進水するのである。

 式は10分弱遅れて始まった。ヤマニシから船主への花束贈呈、清祓い、命名(「琉球エキスプレス3」)、祝詞奏上、玉串奉奠、しょうしん(←意味・文字不明)、餅まきと進み、関係者が船を背後に記念撮影すると、いよいよ進水である。支綱切断と言うらしく、神事を行う場所から舳先に延びているロープを切ると、舳先にぶら下げられたシャンパンが船体にぶつかって割れ、同時に、くす玉も割れて(これはヤマニシの職員がロープを引っ張って割っていた)、船が海に向かって滑り落ちていく。私の立っていた場所から、支綱切断の場面は見えなかったが、そのロープで1万トンの船が実際に固定されていたわけではない。あくまでも儀式である。船はけっこう大きな音を立ててレールの上を滑り、海に入っていった。

 新しい物が命を得た、という感じの感動は確かにあった。動き出した時の迫力も相当なものであった。だが、船が実際に海に滑り込んでいくのが見える場所は立ち入り禁止になっていて、舳先の前の所から、遠離っていくだけの船を見ることになった。

 実は、7月に訪ねた時に、今回の船はあまりにも大きく、進水した時にお尻(舵やスクリュープロペラの部分)が海底にぶつかる危険性があるということで、わざわざ海底を掘るという作業をしていた。しかも、船が進水した衝撃で津波のような波が発生するため、対岸に警備要員を配置するという話も聞いた。だから、1万トンの船が進水する瞬間というのはどうしても見てみたかったのである。

 それがかなわなかったことは残念だったが、35年越しの念願がかなったことは、やはり嬉しかった。ヤマニシに感謝感謝。


(補)船名から分かるとおり、船主は宮城や東北の人(会社)ではない。気になったので、帰宅後すぐに、「マルエーフェリー」(鹿児島)のホームページを開いてみた。進水してから40分後くらいのことである。なんと「新造RORO船の進水式について」という記事が既にupされていて、間違いなく今日撮った写真(記念撮影用の台が写っているので分かる)が貼り付けられていた。すご〜い!!