引退のさるびあ丸、そして東京五輪

 先週の日曜日、朝起きて外を見たら見たことのある客船が浮かんでいる。東海汽船の「さるびあ丸」だ。昨年4月に、我が家の沖に現れた時の話を少し書いたことがある(→こちら)。我が家の居間からは、石巻湾に停泊している船が常に見えているのだが、何しろ客船というのは非常に珍しいから、印象に残るのである。
 あぁ、今年もドックか?昨年より3ヶ月あまり遅い。本来なら夏休みが始まって、離島航路にとってもかき入れ時のはずなのだが、本当にこんな時期にドックに入るのかな?と思って、東海汽船のホームページを見てみると、「さるびあ丸」として紹介されているのは似ても似つかぬ船だ?え?さるびあ丸ってこんな船だっけ?と驚いて、調べてみると、我が家の前に泊まっているのは2代目さるびあ丸で、なんと先月末に引退したという情報が流れている。東海汽船の現在のホームページに載っているのは、新造されたばかりの3代目さるびあ丸らしい。
 更にネットで探してみると、「湘南軽便鉄道」という名前のブログ、7月21日の記事に詳細が書かれている。6月26日に現役として最後の航海を終えた後、一度大阪の造船所に行き、その後、石巻に来たと分かった。一度、ヤマニシ造船に入った後、海外に売却されるのを待つのではないか?と書かれている。
 自分は一度も乗ったことがない。昨春、一度見たことがあっただけだ。それでも、その優美な姿のせいもあり、なんだか愛着が湧いている。不思議な感覚だ。どこに売られていくのだろう?そんな行く末もひどく気になる。

 ところで、今日は言うまでもなくオリンピックの開会式予定日であった。皮肉なことに、まずまずのいい天気。
 オリンピックは、来年に延期になっただけでなく、来年の開催も悲観的に見ている人が多くなってきた。私も、中止でいいや、と思っている一人。そのために全てを犠牲にして努力してきた選手たちには気の毒・・・なのだろうか?
 このブログを探してもらうと、何度か似たようなことを書いていると思うが、私は、今の世の中ではスポーツというものが重要になりすぎていると批判的だ。
 石油を燃やすことで人間が人間以上の力を獲得し、その結果、生活に余裕が生まれ、その余裕を持て余した結果としてスポーツや一部の文化、特に結果が分かりやすいスポーツが突出した地位を持つようになった。そんな風に見ている。本当は、石油を燃やすことにも節操がなさ過ぎるし、仮に生活に余裕ができたにしても、今の世の中にはたくさんの問題があり、或いは、今の平和な状態を守っていくための様々な行動が必要であるというのに、食べられることも殺されないことも当たり前、ぼやーっと惚けてデタラメな政治を批判することさえもできず、熱狂できるのはスポーツやバーチャルなゲームだけ、というのは異常である。スポーツを生業とする人も増えすぎてしまった。
 私は分野に関係なく「一流」の仕事が大好きである。一流には一流だけが持つ美しさがある。スポーツでも同じだ。したがって、種目に関係なくワールドカップ(世界選手権)やオリンピックは大好きだった。だが、無駄に暇で豊かな生活によってそれらが支えられていることを露骨に感じるようになってから、なんとなく無邪気に感動できなくなってきた。
 今日の毎日新聞「記者の目」欄(川崎桂吾氏による「『経済の祭典』に堕するなら  中止やむなし?東京五輪」)は面白かった。6月末、都知事選の投票前に100人に聞き取りをしたところ、開催を望む人が59人いたが、開催を望む理由はほとんどが景気や経済効果への期待だったという。川崎氏は、「五輪は平和の祭典とも言われ、それだけで固有の価値があるはずなのに、インバウンドの増加や景気回復のための『経済イベント』としか思われていないように感じた」と書く。
 主催者やスポンサーがそう考えていることについては、何を今更という話である。しかし、川崎氏がいろいろな一般市民に尋ねた結果として、そのような印象を受けたとなると、これは不愉快な話である。経済、経済、と言い続けた結果として豊かさがあり、豊かであるがためにスポーツの価値が極端に肥大し、その極端に肥大した価値を利用して更に経済、経済と言うとすれば、スポーツも経済も虚構で、ただひたすら虚構を追い求めることでそれを現実と誤認してしまうというような、スパイラルへの落ち込みを感じるからだ。
 それら世界的アスリートのみならず、スポーツのことだけを考えながら生活している多くの若者がいる。彼らを利用している学校があり会社がある。ひとつまみのスタープレイヤーの周りでは、数十億円というレベルのお金が動く。一方で、地道な仕事には光が当たらず、待遇も悪い。世の中のあり方として、これは間違いである。オリンピックは、そんな世の中の間違いを象徴しているようにも思える。中止になってショックを受けたところで、そんな問題に思いを巡らせるといいのだけれど・・・残念ながら、誰もそんなことは考えないんだろうなぁ。