飲酒・喫煙の年齢は下げない方がいい



 自民党の「成年年齢に関する特命委員会」が、選挙権年齢の引き下げをきっかけに、飲酒・喫煙も18歳から認めるという提言をしたことが、宮水の校内も含め、あちこちで話題になっている。理屈としては、民法で定める成人年齢を18歳に引き下げるという話が最初にあり、大人の定義が変わる以上は、飲酒・喫煙も認めるべきだ、ということらしい。例によって、何だか変だぞ、と思う。

 一政党内の提言によって、直ちに18歳以下の飲酒・喫煙が認められるようになるわけではない。日本には「未成年者飲酒禁止法」「未成年者喫煙禁止法」という法律があるので、国会でそれを廃止、または改正する必要がある。

 困ったことに、これらの法律には、「趣旨(制定の目的や理由)」というものが書かれていない。だが、なぜ未成年者に対する飲酒・喫煙を禁止するかというと、成長途上の者に将来にわたる健康上のダメージを与えないようにするため、であることは容易に想像がつく。一方、選挙権を始めとする社会的な権利は判断力や経済力との関係で決められている。人間の身体的発達と、知能的発達が一致しているならいいが、そうでない場合、「民法上の成人だから」という理由で、何でも許す必要はない。そもそも、思考力・判断力というのは、有無をかなり感覚的に評価しなければならないが、身体については、科学的・客観的な考察が可能である。

 だとすれば、「大人の定義が変わる以上は認めるべきだ」などという乱暴な議論ではなく、飲酒や喫煙が身体にどのような影響を与え、その影響の程度は年齢とどのような関係にあるのか、ということを、科学的に調査することこそが必要であろう。

 もうひとつ、それとは別の問題もある。

 飲酒・喫煙年齢が18歳になれば、高校3年生の教室には、それらが許される生徒とそうでない生徒が混在する。この問題について、校則で禁ずれば問題はない、との意見が出たそうであるが、現場の人間としてはなかなかやっかいだな、と思う。

 もちろん、現在の学校は「校地内禁煙」で、教員でさえ学校の敷地の外に出なければタバコを吸えない。飲酒は、20年くらい前までは、校内でも可能だった。禁酒令が出たという記憶もないが、今は校内で酒を飲める雰囲気は一切ない(そんな余裕もない)。だから、いくら18歳から法律上、飲酒・喫煙できるとしても、学校内で生徒がおおっぴらにタバコを吸い、酒を呑むという状態にはならないだろう。また、例えば、自動二輪の免許取得は、おそらくほとんど全ての学校で「禁止」となっていると思うが、これは、ある意味で、私生活の領域にまで校則が手を伸ばしている(伸ばし得る)ことの事例である。だから、飲酒・喫煙を校外まで含めて禁止にすることも、不可能ではないのだろう。

 だが、法律で許されているものを、学校がなぜ禁止するのだ、という声は、今でもある程度はある。その結果として、と言うべきか、学校で禁止されていても、家庭で許すという場合がしばしば見られる。いや、例えば、喫煙など法律でも学校でも禁止されていながら、隠れて吸って火事を出されると困るから、などと、自分の目の前で吸わせている親さえいるのである。つまり、今の親は子どもの言いなりになる人が相当数いて、「法律で禁止されているんだから」という最後の一線がなくなってしまうと、本当になし崩しになってしまうという危機感を持つわけだ。

 もっとも、自動二輪や原付にしても、酒・タバコにしても、服装や頭髪にしても、本来学校で規制すべきものなのだろうか?これは、学校がどのような場所か、ということと関連する。もしも、学校を徹底的に教科の勉強をする場所、と位置付けてしまえば、それらのことに学校が干渉するのはおかしい。日本の学校が、何でもかんでも丸抱えにしてしまった結果として、過剰に生徒の生活に干渉するという傾向は間違いなくあるのであって、酒・タバコの18歳解禁→なし崩しは、そんな学校のあり方を省みるきっかけになるのであれば、かえっていいことだと思う。ただし、学校がそれらの生活指導から足を洗うための絶対的な条件は、生活が乱れて勉強に目が向かない生徒に振り回されないようなシステムが確立していることだ。それは、高校の場合、退学を命ずることが最も簡単だが、退学した生徒が社会のお荷物にならないよう、その子供達が誇りを持って生きていけるような社会システムを作ることもまた必要だ。それは、私が以前から言っている「複線化された社会」(→参考)であるべきだと思うが、同時に、小・中学校段階での手厚い教育も大切である。

 とは言え、そんな話は机上の空論。実際には、飲酒・喫煙が18歳で許されるようになったとしても、「複線的社会」など一顧だにされず、政府は金がないと言って小学校教員を大量に増やすこともないだろう。若者の荒廃と学校の混乱は進むと思う。だとしたら、これは触らず現状維持が一番だ。その上で、社会人になった18歳が、職場の先輩と酒を呑みに行くのを黙認する、といった柔軟な運用をこそ目指すべきだろう。規則は守るためにあるのではなく、世の中を円滑に機能させるためにあることを忘れまい。