平安時代の「大人」



 昨日の記事は、少々勇み足だったようだ。出されたのは「提言」ではなく、「提言案」だったらしい。その「提言案」に異論が続出したものだから、結局、「提言」は見送られることになったという。今日の朝日新聞で知った。異論続出の内容は、昨日の私の記事と大きく重なり合う。この件については、珍しく、私は絶対少数派ではないらしい(笑)。

 さて、この問題は、教員だけではなく、生徒も相当な関心を持っている。授業の時に、少し質問が出て話題になった。その際、選挙権を18歳に与えることについても、飲酒・喫煙を認めることについても、先生はどう考えるのか、と聞かれた。私は、少し長くなったが、以下のような話をした。先日の記事(→こちら)と重なり合ってくる。


「18歳に有権者となるだけの判断力があるのか心配だ、という話は、年配の人からだけでなく、若者からも出ていると聞く。私も18歳の判断力、その元になる世の中を眺め回す力は必ずしも十分ではないと思う。しかし、だったら20代、更には40代、50代だったら十分なのか、と考えると、たいしたことはないな、と思う。だとすれば、1000兆円の借金に象徴される国策は、若い人ほど影響を受けるわけだから、若い人にできるだけ多くの選挙権を与えることは必要だと思う。

 一方、酒・タバコの問題は、そのような知的能力ではなく、身体的発達の問題なので、別の基準で考えなければならない。選挙権を18歳に与えたのだから、酒もタバコもという問題ではない。では、体への影響から考えて、飲酒と喫煙は何歳からOKにするのがいいのか、と言えば、おそらく、タバコは年齢に関係なくダメで、飲酒は分からない。政治家ではなく、医学者が議論した上で、政治家が制度化すればいいと思う。議論するのはまず医学者だ。

 これらとはまったく別に、私はこんなことも考える。

 古典文学を読んでいると、昔の人は大人になるのが早かった。おそらく、男女によっても違うが、12〜16歳で成人と認められるための儀式をしていたのではないかと思う。成人になれば即結婚で、結婚すれば即出産・子育てだ。貴族の子どもは、親の地位によって地位をもらうことができたが、これも成人と認められると同時だ。結婚・子育てをするためには経済力が必要で、それは仕事をするということなのだから、当然である。

 なぜ、12〜16歳で成人と認められたかと言えば、おそらくそれが生殖能力が完成する年齢だったからだ。つまり、生殖能力が完成すれば、出産の前提となる結婚をするのは当たり前。生殖能力が完成してなお結婚しないのでは、何のために生殖能力が完成したのか分からない、ということになってしまう。だから、「生殖能力の完成=成人=就職=結婚=出産」だったのだ。

 思えば、これは生き物としてはごくごく自然なことだ。人間以外、全ての生き物は、命を繋ぐためにだけ生きている。俺は何のために生きているのか?などとは絶対に考えない。川上で孵化したサケは、川を下り、北太平洋で成長し、4年前後で元の川に戻り、卵を産むと、孵化を見届けることもなく、ぼろぼろになって死んでしまう。この姿にこそ、命の本質は象徴的に表れている。卵を産んだことで、そのサケは命の目的を果たした。そして、サケにとって価値ある生涯だったのである。

 現在、日本人の初婚平均年齢は、男女ともに約30歳である。つまり、生殖能力が完成してから15年以上結婚しない。それどころか、男で5人に1人、女で10人に1人は、一生結婚しない。私の身の回りを見てみても、結婚したが子どもを作る気はない、という夫婦がいく組もある。これは、人間がいかに自然から離れてしまったか、生物としての性質を失いつつあるか、ということだ。

 このように考えてくると、政治家が集まって「大人」を18歳にするか20歳にするか議論するというのは、ひどくバカげたことに思われてくる。本来は、生殖能力が完成した時が「大人」になった時なのであり、その時点の思考力・判断力が、「大人」の思考力・判断力だ・・・こういう考え方もできる。」


 もちろん、実際には、生徒のヤジを上手くかわしたり利用したりしながら、こんな堅苦しい言葉ではなく、多少面白おかしく話すのであるが、生徒はまずまずよく聞いていた。