安保法制の限界状況



 一昨日の朝日新聞に、山口繁・元最高裁長官の大きなインタビュー記事が出た。司法のトップだった人が、これほどはっきりと、「集団的自衛権行使は違憲だ」「砂川判決は集団的自衛権とは関係ない」と言い切っているのは痛快だ。

 更に、「「法案は違憲」との指摘に対して、政府は1972年の政府見解と論理的整合性が保たれていると反論しています」という問いかけに対して、「何を言っているのか理解できない」と答えている。ああ、安心した。なぜなら、私も政府の合憲論は、国語の問題としてまったく理解できずにいたからである(→参考記事)。高学歴で、多くの人々から支持されてなった代議士の中の、選りすぐりの人たち(大臣、自民党幹部など)が合憲だと言うのに、私がそう思えないのは、私の頭が悪いからかも知れないと思っていたが、元最高裁長官がそう言うのであれば、自分はバカだと落ち込む必要はなさそうだ。

 9月2日の参議院安保法制特別委員会で、共産党の仁比聡平という議員が、自衛隊統合幕僚長が昨年12月に訪米し、米軍高官と会談した際の内部記録を暴露した(確か、防衛大臣は、その記録の真偽をまだ認めていない)。それには、以下のようなことなどが書かれていたらしい。

・日本では、来夏(つまり2015年夏=今)までに集団的自衛権行使が可能となる法律が制定される。

辺野古基地は日米で共同使用する。

・アフリカ北東部、ジブチ自衛隊の海賊対策基地は、その他の目的(平居注:中東やアフリカへの軍事作戦のため、ということだろうか?)にも活用する。

 まぁ、一つ目などは、今回の安保法制が提案される前に、首相がアメリカ議会でぶち上げたわけだから(→参考記事)、更に前段階があったわけね、という程度である。国内で議論も始まっていないものを外国で約束してくるとは何事か、という批判は、やはり首相に向けられるべきものであろう。それでも、この会談記録の持つ意味は重い。二つ目、三つ目は論外。

 どう考えても、国会前のデモが多い少ないの問題ではなく、この法案のごり押しはあり得ないな、と思う。もはや、その破廉恥さにおいて限界状況だ。今の状態で、新安保法制を合憲として可決することは、間違いなく立憲政治の完全崩壊である(「民主主義の完全崩壊」とはあえて言わない。議員は国民が選んでいるからね)。

 それでも、政府は採決を強行するつもりらしいが、私が恐いと思うのは、そのような政府の独裁・暴走状態そのものよりも、与党、特に自民党の中から、「さすがにまずいんじゃないの?」みたいな発言が漏れてこないことである。

 私は以前から、党内がごたごたしている点にこそ自民党の人間味を感じ、逆に、党内の異論が見えてこない共産党を胡散臭く思っていたのであるが(→参考記事)、状況は変化している。もちろん、失言を恐れて、法案が通るまではしゃべるな、みたいな一種の箝口令が出た話などは耳にしているけれども、これほど徹底されてくると不気味である。自民党の支持者の多さを考えると、異論が無いのは不自然であり、それが漏れてこないのは、党内に一種の恐怖政治が敷かれているからではないかと思う。人事(大臣ポスト)で不利な扱いをされるのを恐れている、といったような報道はあったような気がするが、どうもそれだけでは済んでいないのではないか?

 岩手県知事選の立候補者擁立断念に表れているとおり、民意としてもかなり不利な状態が生まれていることは、自民党も承知しているはずだ。にもかかわらず、しゃにむに採決に持ち込もうとするのは、自民党自身がアメリカから、何か相当過酷な条件で脅されている、もしくはよほどの利益をちらつかされているか、かつての安保闘争の時のように、国民が少々反発しても、ごり押ししてしまえばそのうち落ち着く、という見通しがあるからではないかと思う。私は、前者については、刻々と近付いているはずのアベノミクスの破綻と関係するのではないかと勘ぐっており、後者については、困ったことに多分その通りだ、と思っている。

 明日は14時から、西公園元仙台市立図書館前で、仙台弁護士会主催の「みんなで止めよう安保法案 みやぎ3000人大集会」が行われる。デモにどの程度の力があるかは?だが、見える形での意思表示はやはり必要だ。残念ながら、私は前任校山岳部の沢登り引率を頼まれていて参加できない。せめてこの場で、参加の意志を表明しておこう。