自衛隊と憲法の関係をどう考えるか



 今日は最悪。朝起きたら、霧が掛かっているわけでもないのに、海がどこにあるかも分からない状態。もちろん、島は見えない。これは湿度が90%を超えている証拠だ。石巻の最高気温は30度にもならなかったのに、33度の日曜日よりはるかに暑かった。やっぱり問題は湿度だな。38度や39度の群馬県や埼玉県の湿度はどれくらいなのだろう?


 さて、更に続きのようなことを書く。

 一昨日のNHK日曜討論」という番組で、自民党稲田朋美氏が、新安全保障法案の違憲性をつつかれて、「だったら、憲法学者の2割しか合憲だと言っていない自衛隊はどうするのか?国民の多くは認めているではないか。」と切り返していた。「窮鼠猫を噛む」の類いではあるが、あながち的外れとは言えない。残念ながら、民主党の細野氏は明確な回答をしなかった。この点をどう考えるべきだろうか?

 私は自衛隊を、国語の問題として違憲だと思っている。しかし、自衛隊の存在に対して肯定的な日本人をケシカランとは思わない。無しで済むなら無い方がいいが、確かに、なかなか無しで済ませるだげの覚悟はしにくい。私自身も、おそらく、自衛隊違憲ではあるけれど、持たざるを得ない兵力と考えている。少なくとも、今日からお前が独裁者になっていい、と言われたとしても、だったら自衛隊は廃止しよう、とはいかない。

 では、なぜ現実に合うように憲法を変えようとは動かないのか、なぜ新安保法案なら違憲性にこだわるのに、自衛隊については不問に近いのか、ということになる。

 答えは簡単、本当は憲法改正をして自衛隊という存在とその役割を明確化した方がいいと思うけれど、憲法改正などと言い出した日には、そのどさくさで、単に自衛隊を合憲化するに止まらない、いろいろな問題が発生するだろうと思うからである。もっとはっきり言えば、その機に乗じて政府は、国民の権利を制限し、政府の権限を強化するような、自分たちに都合のいい様々な「改正」を巧妙に行おうとするだろう、と睨んでいるからである。更に、今の憲法下でさえも、かなり怪しげなことが行われているのだから、自衛隊憲法で認めれば、そこから更に拡大解釈が行われ、改憲の時には想定しなかったような危険な決定が行われるに違いない、と思うからである。現政府のやっていることを見ていても、自民党改憲草案を見てみても、絶対に彼らのことを信用なんかできない。それなら、決していいとは思わないが、現状維持をしてなあなあで行くしかない。

 一方、新安保法案のような、新たに憲法を逸脱しようとしているものについては、阻止するのが当然だと思う。どちらも憲法の条文との関係で言えば違憲だが、既に逸脱してしまったものと、今から逸脱しようとしているものに対する対応が異なるのは、仕方のないことであろう。できるだけ憲法全体の理念を大切にしようとしている点で、両者はなんら矛盾しないのである。私は、自分が常に少数派の中の少数派であることは重々承知しているつもりだが、この点について言えば、自衛隊を黙認しつつ新法に批判的な人の多くが、おそらく同様に考えているのではないか、と想像する。違うだろうか?


(補)一昨日の記事の末尾に、憲法の制定過程に関する過去記事のリンクを張りました。ご参照ください。