私が「戦争法案」と呼ばないわけ



 昨日は本当に気持ちのいい夏の一日だった。石巻では32度が予想され、実際に33度まで上がったらしいが、我が家からは一日中海が真っ青に見えていた。田代島と網地島もくっきり。これらで湿度70%未満と分かる。これくらいなら、暑いなりに夏はいいなぁ、と思える。一転、今日は本当に暑かった。朝から海には青さがなく、島はぼんやりとして、かろうじて見える程度(日中は職場にいたので不知)。湿度は80%を超えていただろう。気温は30度をかろうじて超えただけ。やはり、気候は気温ではなくて湿度だな、と思わされた。


 さて、今日から参議院が始まった。昨日の更に続き、というわけではないが、もう一点、新安全保障法案について書いておこう。

 首相はこの法案について、国民の理解を求めるとか、分かりやすく説明するとか言っているが、最近多くの人が言うとおり、どうもずれている。首相の説明が分かりにくいから賛成できないのではない。分かった上で、分かっているからこそ反対しているのだ、と思う。学校における日の丸君が代の時と同じで、理解した上で反対、という状況は想定されていない。首相にとっては、「理解できた=賛成」で、賛成できないということは理解できていないということ、それ以外の選択肢はないのである。

 ところで、私はこの間、このブログ以外の場所も含めて、この法案に文句を言い、審議のあり方を批判してきたのであるが、「戦争法案」とは一度も呼んでいない。レッテル貼りはするな、という首相の呼び掛けに応えたわけではなく、まして、首相と同様に、この法案が戦争を抑止し、平和をもたらす「平和法案」だと思っているわけでもない。世間相手に論点を明瞭化させるためにはいいのかも知れないが、第一に、「戦争法案」と呼ぶことで、自分自身が思考停止に陥ることを危惧するからである。そして第二は、少し長くなるが以下のような事情だ。

 この法案が戦争を誘発する、もしくは日本が戦争に巻き込まれるきっかけになるのか、戦争を抑止することになるのかの判断は難しい。何しろ同盟国であるアメリカが非常に好戦的な国なので、私は前者である可能性が相当高いとは思っているが、後者である可能性がないとは言えない。そのようなパワーバランスは、国際社会では往々にして存在するだろう。

 この法律が成立して100年間、日本が戦争をせずに済んだとして、「この法律があったから戦争をせずに済んだ」と考えることも、「こんな法律があったにもかかわらず、戦争をせずに済んだ」と考えることもできる。どちらが正しいかは検証できない。同様に、日本が戦争をせざるを得なくなったとして、「こんな法律があったから戦争をする羽目になった」というだけでなく、「この法律があったおかげで、この程度で済んだ」と考え得る場面も想定できる。これまた、どちらが正しいかの検証は難しい。日本が平和を維持するために、このような法律が必要かどうかは政治的判断だと思う。

 だから、国会での議論の結果として、最終的に、このような法案が可決したとしても直ちに文句は言えない。もちろん、今の選挙制度や国会運営・政党政治というものが、民意をどれだけ反映するものになっているかというのは問題だし、そこに目をつぶったとしても、あまりにも重要な日本の岐路なので、この法案の是非だけを争点として衆議院を解散するくらいのことは必要である。提案に先駆けて、アベノミクスの是非を最重要の争点とする解散・総選挙を行ったのはズルである。だが、ともかくも、国会での決定は、政治的判断なのである。

 だったら、なぜお前はこの法案に批判的なのか、ということになる。それは、上に書いたとおり、日本の平和を守るよりはアメリカの戦争に巻き込まれる可能性が高いだろうという私なりの政治的判断があるのは確かだが、そんな議論以前に、やはり違憲だと思うからである。圧倒的多数の憲法学者違憲だと言っているし、私には、ほとんど「国語」の問題と見える。違憲であるからには、その次の議論に進んではいけないのである。政治的判断は必要ないのである。誰かが言っているように、現実的な必要性があり、政治的判断によってこのような法律を作ろうとするのであれば、最初に憲法を変えるべきなのである。それができないのであれば、姑息な方法を使ってこんな法律を作るべきではないのである。立憲主義の枠を壊して権力が暴走することは、戦争が起こるのと同等か、それ以上に恐ろしいことなのである。

 世間におけるこの法案の是非論は、この法律が戦争への道を拓くものになるのか、戦争の抑止力になるのかという点と、憲法に違反するかしないかという二つの論点を、曖昧ごちゃ混ぜにしている気配がある。「戦争法案」という呼び方をするかどうかは、憲法との整合性という第1のハードルをクリアしてから初めて意味を持つ。だから、そのハードルをクリアしていないと考える私は、とりあえず「戦争法案」という呼称を使わないのである。