分からないことが分かった・・・都響の石巻演奏会



 今日は、珍しく妻と二人で、石巻市の河北総合センター「ビッグバン」という所に、下野竜也指揮する東京都交響楽団の演奏会に行っていた。「震災復興支援コンサート」という名目の無料演奏会である。とは言え、出演者も曲目も申し分なく、私は2ヶ月以上前に整理券を入手していた。下野竜也もいいが、今日の目当ては、何といってもピアニストの小曽根真である。

 老朽化がひどかった上、東日本大震災津波の被害を受けた石巻市民会館と、石巻文化センターはともに取り壊され、16万都市である石巻市の中心部に、現在コンサートホールとして使える1000人規模の会場はない。そこで、市の中心から15キロ以上離れた施設のアリーナ(体育館)が会場となった。どれくらい人が集まるのかなあ、と思っていたが、大入り満員。ただし、後から後から知人に顔を合わせて挨拶するのが煩わしく、きょろきょろしなかったので、何人くらい入ったのかは分からない。

 私は小曽根真を間近に見たかったので、40分前に会場に着き、前から3列目に席を確保した。1曲目は、外山雄三管弦楽のためのラプソディー」。体育館のフロアに並び、反響板もないオーケストラの音は、なんだか空間に拡散してしまって頼りない。席がオーケストラの近くなので、尚更よくない。とは言え、私は興味津々。激しい打楽器の連打の後で、「あんたがたどこさ」が始まった時には、何だか、ようやく旧知の友に巡り会えたような懐かしさと安心とを感じて嬉しくなってしまった。というのも、かつて2度、作曲者である外山雄三氏の指揮でこの曲を聞いた時には、第1部とも言うべき「あんたがたどこさ+ソーラン節」が省略され、突然「信濃追分」に流れ込んで、肩すかしを食ったような気分になったからである。また、第3部とも言うべき「八木節」の前に、楽員が「ハッ!!」という合いの手を入れたのも面白かった。これは、沼尻竜典氏がNAXOSに録音している演奏でも聞かれるもので、楽譜には書かれてない。誰がいつ発案したのか、私は以前から気になっていたのである(→このことに関する記事1記事2)。私は、演奏会終了後、下野氏に尋ねてみようと思った。

 さて、小曽根真である。曲はガーシュインラプソディー・イン・ブルー」。ピアノの音も拡散してしまい、最初は少し頼りなかったが、人間の耳には補正能力が備わっているらしく、やがて、きちんとした音に聞こえるようになった。これは期待通り。私はこの曲の楽譜も持っていないし、録音も聞き込んで、隅から隅まで分かるという状態になっていないので、あまり確かなことは言えないが、オーケストラの止まるカデンツの部分が多くて長く、その間、小曽根真の即興を存分に楽しむことができた。もしかすると、オーケストラは止まっている時間の方が長かったのではないだろうか?通常なら、「管弦楽のためのラプソディー」と「ラプソディー・イン・ブルー」の2曲で、拍手を入れても30分だと思うが、今日は40分かかった(ちなみに、ピアノは予めセッティングされていた)。「ラプソディー・イン・ブルー」を用いた小曽根真の曲を聴いた、と言うのが正しいだろう。アンコールは「クバーノ・チャント」。いかにもジャズの乗りであり、盛り上がりだった。クラシックよりジャズの方が絶対に面白いという人の気持ち、よく分かるなぁ!

 最後は、ドヴォルザーク交響曲第8番。下野竜也は今年5月、読売日本交響楽団と、日本人として初めてとなるドヴォルザーク交響曲全曲演奏を完結させた。私は特に好きな曲でもなく、そのことは、我が家にこの有名な曲のCDが1枚もないということによく表れているが、下野氏がドヴォルザークを振るということで楽しみにしていた。都響は管楽器の音が安定して非常に美しく、それがこの田園風と言われる曲を大変美しいものにしていた。指揮者の解釈については云々できないが、とても気持ちよく聴くことができた。

 終演後、楽屋に下野氏を訪ねた。残念ながら、「管弦楽のためのラプソディー」の謎は解けなかった。あくまでも、彼としては、楽譜に基づいて音を出しているだけなので、楽譜にある以上は「あんたがたどこさ+ソーラン節」を省略することは、思いもよらないという感じだった。合いの手については、都響では盛り上がるためによくやるのだ、ということで、下野氏の発案や指示ではないという。思えば、沼尻氏によるCD(2000年録音)はオーケストラが都響だから、沼尻氏の発案で合いの手を入れ、都響はその後、指揮者が変わってもそのやり方を踏襲してきた、ということなのかも知れない。謎は必ずしも解けなかったとは言え、下野氏くらいの勉強熱心な指揮者にも分からないということを確かめられたのは収穫、と言うべきだろうか・・・?

 いい夜を過ごした。郊外の、車以外では行けない場所が会場だったせいで、車が多く、河川敷の駐車場から出るのに40分もかかったというのが余計なオチであった。ま、余韻に浸るにはいいか・・・?