2人のシューマンとブラームス



 仙台フィルの第289回定期演奏会に行った。プログラムは、ロベルト・シューマンの「マンフレッド序曲」、クララ・シューマンのピアノ協奏曲、ブラームス交響曲第1番。今日のお目当ては、第一にクララのピアノ協奏曲、第二に指揮者・広上淳一であった。「であった」と書いたのは、演奏会が既に過去のものになったから、というだけではない。もともと、それらが目的の全てのつもりだったのに、15日の夜に、Eテレでパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーの演奏でブラームス交響曲第1番を聴き、感動というより、衝撃を受け、にわかに今回の仙台フィルが演奏するブラームスの1番が気になりだしたからである。

 テレビのインタビューでヤルヴィは、ブラームスの1番が、ベートーヴェンに続く第10番目の交響曲を期待されたブラームスの苦悩・葛藤が表れた難しい曲であるとする。また、40人編成が想定された曲であるために、ワーグナー風に演奏してはならないとした上で、時代考証に基づいて楽譜をしっかりと読み込むことの重要性を語る。それらのことが最も明瞭に表れているのは、序奏だ。「楽譜には「マエストーソ(荘重に)」という指示がない、ティンパニの連打は、壁に頭をぶつけながら状況を打開しようという心の叫び」だと言う。私は酒を飲みながら軽い気分で聞き流していたのだが、思わず「ええっ!!?」と身を乗り出してしまった。ブラームスの1番の序奏と言えば、「マエストーソ」の典型だと思っていたからである。また、ヤルヴィがわざわざそのように言うのは、私と同様に、その序奏を「マエストーソ」だと思い込んでいる人間がとても多いことを意味するだろう。にわかに、他の所も含めて楽譜の指示が気になり始め、本当に久しぶりでこの曲の総譜を書架から引っ張り出すと、それを見ながら聞き通してしまった。冒頭のティンパニの叩きつけるような連打に始まり、緊張感と刺激に満ちた、あっという間の50分であった。この演奏に強い説得力を感じてしまった時、果たして広上・仙台フィルの演奏、いや他の全ての演奏が私の心を動かす力を持つのだろうか・・・?

 さて、今日のブラームスは、さすが広上というべき、渾身の演奏であった。小さな体であるにも関わらず、この人が棒を振ると、オーケストラは本当によく鳴る。いやぁ、たいしたもんだなぁ、と感嘆しながら聴いた。その時、もはや私の心の中からヤルヴィ+ドイツ・カンマーフィルの演奏は消えていた。だが、終わってからふと思ったのは、この演奏は本当の意味での名演なのだろうか?ということである。なんだか体育会系。オーケストラの快感に酔いしれることは出来るけれども、心の奥底から揺さぶられ、何かが残るようなものを、この演奏は持っているのだろうか?そして、私の心の中には、すぐさま「ブラームスの葛藤」というヤルヴィの言葉が蘇ってきたのである。的確な指摘であると思う。そして、広上の演奏に、果たしてそれに相当する何かがあったのだろうか、と思う。広上指揮の演奏会は、確かにハズレがないのだけれど、「人間」というものにつきまとう屈折というか、陰影において少々物足りない。

 順番が逆になった。

 クララは言うまでもなくロベルトの妻であり、ブラームスの永遠の恋人(?)である。ピアノの名手として天才少女だったというのも有名で、自分でも曲を作ったという話は聞いたことがあったが、協奏曲も書いていたとは知らなかった。19世紀、女性が作曲をするのは社会的に許されていなかったために、多くを作ることはできなかったが、当初から一部の人にはその能力が高く評価されていたらしい。メンデルスゾーンの姉ファニーの場合とよく似ている(→参考)。聴くのはもちろん初めてであった。ネットでCDを探せば、見つけることはできたが、つまらないので取り寄せたりはしなかった。昔の人が初演に立ち会う気分の追体験である。独奏は伊藤恵

 この曲が、クララが13歳で構想し、15歳の時に完成した作品だと聞くと、モーツァルト的天才だな、と驚く。だが、聴いていて、それが若書きであることは私にでも十分に分かる。15歳の少女の作品だということに驚くのであって、真の名曲として驚くのではない。ただ、20分強という規模のおかげもあって、退屈せずに聴くことはできる。作品の価値ではないが、ロベルト・シューマンブラームスという19世紀ドイツを代表する作曲家に大きな影響を与えた、その生涯に思いを馳せながら聴くのも、それなりに趣深い。

 最初、1834年に単一楽章のピアノ協奏曲として作曲された時、ピアノ教師であったクララの父の弟子であったロベルト・シューマンが、オーケストレーションを行った。その翌年に3楽章化された時には、クララ自身がオーケストレーションを行った。それから5年後、クララとロベルトは結婚し、更に5年後、ロベルトがピアノ協奏曲を書いた。奇しくも、クララの協奏曲もロベルトの協奏曲もイ短調で、三つの楽章が切れ目なく演奏される。私は、一生懸命、その影響関係を探しながら聴いていたのだけれど、共通するものはそれら以外に見つけられなかった。ロベルトのピアノ協奏曲は「ザ・ロマン派」と言うべき名曲。作曲した時、35歳になっていたわけだし、同列に比べるのは気の毒だ。

 アンコールとして、同じくクララの「四つの束の間の小品Op15-1」が演奏された。何歳の時の作品かは知らないけれど、ピアノ協奏曲(Op7)よりも数段高級な作品に思えた。