「備蓄」を断念する



 昨日は、我が家2階の模様替えをした。下の坊主が4月から小学校に入る。今は1階で私たち夫婦と一緒に寝ているのだが、小学校に入ったら、2階で1人で寝るというのが、かねてよりの「お約束」だ。その「お約束」を守らせるためには、彼の居住スペースを確保してやらなければならない。何しろ、不本意ながら物(ほとんどは本)が多すぎて、至る所「物置」と化している我が家である。大掃除を兼ねた模様替えも、なかなか重労働だ。

 現在娘が使っている15畳ほどの部屋の押し入れから、大量のペットボトル入り「水」が出て来た。東日本大震災の直後に、やっぱり飲用水くらい備蓄しておかなければ、と人並みのことを考え、買った物やら支援物資としてもらった物やら、手当たり次第にしまい込んだものである。見れば、すべて消費期限切れだ。中には、「非常用5年保存水」なる2リットルボトルも含まれていたが、震災前に封入されたものを、震災後にもらったらしく、既に1年も前に期限切れとなっていた。

 以前、我が家のあちらこちらから賞味期限切れの食品が発見されるが、少々期限を過ぎていても、食べるのに差し支えなんかない、というようなことは書いたことがある(→こちら)。「水」とても同じ。1年や2年、いや、おそらくは10年過ぎたって、開封さえしていなければ、品質に問題はあるまいと思う。だが、出て来た保存水を、いったい何年後に使うことになるかは分からない。とりあえず、今、それらを使ってしまって、また新しい物を買ってきて保存しておけばよい、というのが正論である。しかし、なんだか無駄な感じがするし、新たに買ってきた物も、またすぐにその存在を忘れてしまうような気がする。ひどく邪魔でもある。思案した挙げ句、全て捨ててしまい、買い換えもしないことにした。

 東日本大震災クラスの災害が発生した時、それが夏であれば、水が無いのは危機的だな、と思う。だが、東日本大震災の時でさえ、2日で支援の手は届いたのである。その間をしのぐ程度の飲料(ジュース類など)くらいは、家の中のどこかにはありそうだ。備蓄に面倒な思いをするよりは、いっそお金をかけて井戸でも掘った方がいいようにも思う。

 と書いてきて、東日本大震災の1年後、2012年2月に、宮城県が、災害発生時のための食糧と飲用水の大量備蓄を断念すると発表したことを思い出した。2月3日だったかの『河北新報』によれば、宮城県は、震災を教訓として、想定される避難者18万人が3日間をしのげる、食糧46万食と水33万リットルの備蓄を計画したが、保管費用(倉庫代)と更新費用で、毎年5000万円がかかり続けることが分かり断念した。批判も多かったらしいが、私は賢明な判断だったと思う。

 そうなのだ。緊急物資を買って、利用の機会が来るまで、押し入れに入れっぱなしで済むならよいが、そうはいかない。何年か過ぎれば、更新が必要になるのである。お金もかかるし、何より面倒くさい。憶えていられる保証もない。更新の際に捨てなければならない物が出れば、それももったいない。そしてその割りに、役に立つ可能性は著しく低く、それがなければ死ぬという可能性は、更に低いのである。

 教訓の風化だと言う人は言えばいい。ただ、平時に比べれば非常時などほんの一瞬だし、東日本大震災クラスの緊急事態でも、2日目の夜以降は、怒濤のように支援物資が届くようになったのである。心配はほどほどにせねば、と思う。

 模様替えは、奇跡的に丸一日でほぼ終わった。その時私の意識にあったのは、もはや非常用物資の心配ではなく、あと2ヶ月で、私の愛する「湯たんぽ」がなくなるという寂しさの方であった。